私の原動力は、先生の仕事を辞めたこと。 | かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

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平成28年3月に19年勤めた小学校の先生を辞め、広島の大崎上島に家族で移住しました。
子どもは、8才と7才の男の子です。子ども達はずいぶん大きくなりました。

そんな我が家の子ども達の成長や、私の気づきを記録していきます。

最近、島でお会いする方に、
「アクティブですね。」
と、声をかけていただきます。


自分では、結構、ぐうたらしてるし、ダメダメだし、全く無理してないし、と、思うのですが、ありがたいお声。


仕事してたときに必要だったエネルギーの半分も使っていない。
好きな人と関わり、楽しそうだなと思うところに出掛けて行き、疲れたらゆっくり休む。


でも、貪欲に生きているとは、思います。


たぶん、それは、仕事を続けていれば、勝手にトラブルがふってきて、それによって勝手に鍛えてもらって、気づいたら力がついているということが見えていたけれど、自らそこからおりてしまったことをよくわかっているから。


ここからは、自分で意識して自分を育てていかないと、そこでとまってしまうことが分かっているから。


先生は、本当に、自分を鍛えることのできる仕事です。
そこにいて、メンタルやられずに続けることができたら、トラブルを子どもや親のせいにして自分は関係ないと思わず、ひとつひとつ丁寧に向き合っていったら、必ず、自分が人として成長できます。
そこからおりてしまったという自覚があるから。


10年後、先生辞めた自分に後悔したくない。
別に、らくしたくて辞めたわけではないし、本当に好きな仕事だったので。


自由な時間を手にし、ずっと教育に関わってきた私だからできることを模索したい。

そんなことを思って生きています。


自分に与えられた時間は有限。
そのなかで精一杯生きること。

大切にして生きていきたいです。


まあ、昨日、初任者さんが出張のため、久しぶりに1日子どもたちと過ごしたけれど、それを終えて職員室に戻ってきたら、半分のみなさんは会議、残りのみなさんは次のスポーツテストの準備をされていて、私が定時に帰る時には、職員室ほぼ空っぽでした。


なんとか定時に帰りたいと奮闘したとしても、自分の学級の準備は、全部、家になるな、と、改めて思いました。
子どもら、4時頃までいるし、そこから会議になると、そりゃそうだよね。


そこに、学級でトラブルが起きて、保護者対応なんかしてたら、帰れるわけがない。


学校の先生にも家庭があって、学校の先生の子どもさんも、親にも関わってもらいたいと思うと思うけど、なかなか厳しいな、と思いました。


よく、
「我が子育ててないねん。」
って、年配の先生が悲しそうにおっしゃっていたけれど。


どんな人生を選ぶか、その人次第って言うけど、仕事か家庭かどっちか選ぶ、じゃなく、どっちもできる人生がええな。


どっちもするために、模索している私でした(*^^*)


今、募集している7つの習慣の読書会、同じように模索している人にもお勧めかも。

あと数人いけるので、一緒に学びませんか(*^^*)

先日の記事を貼っておきます。
No. 660

こんな子どもらの姿を見たら、辞めてここに来てよかったって、心から思います(*^^*)