「普通」ってよくわかんないけど、ちょっぴりずれちゃうと楽になれるのかもなぁ。 | かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

平成28年3月に19年勤めた小学校の先生を辞め、広島の大崎上島に家族で移住しました。
子どもは、8才と7才の男の子です。子ども達はずいぶん大きくなりました。

そんな我が家の子ども達の成長や、私の気づきを記録していきます。

今日、SNSで飛んできた話題。

普通を目指していたって人の言葉。


私自身は、普通って言葉、ずいぶん昔に手放した。

最初に、普通の流れからずれちゃったのは、浪人したこと。
自分の出身校では女性は珍しかった。
予備校に行ったら、女性もたくさんいたけれど、内心ドキドキしてた。
次の年受かり、1歳下の人と同学年だったけれど、まあ、なんとかなった。


次は、結婚。

同世代の友達がどんどん結婚する中、自分は青年海外協力隊へ。
青年海外協力隊へ行くことも、あんまり普通じゃないらしい。
(自分の周りにはたくさんいるので普通なんだけど(^^;;)

そんなことしている場合か?
と親戚に言われたけれど、まぁ、やりたいことをした。
結婚相手に出会えるかどうか少し不安だったけれど、適齢期に婚活するのではなく、やりたかったことを選んだ。

いちお、結婚して生きる道と、結婚相手に出会えなかった場合の道を考えていた。
(だって結婚は、相手がいるから、1人ではどうしようもないからね。)

その後、結婚相手にも運良く出会えた。

で、結婚した年は、まだ、自分と同じくらいの人もいたのに、結婚してから夫が青年海外協力隊に行ったので、子どもが授かったのは、ずいぶん後。

だんだん妊娠しにくくなるということを知ったのも遅かったので、なんとかなる気がしてたのもある。

運良くなんとかなって、2人授かった。

育休中のママ友達は、みんな下だったけれど、楽しかった。
(みんながどう思ってたかは、しらないけど)

たぶん、ここまでの私の生き方は、
「普通」
とか、
「こうあるべき」
とか言われたら、ずいぶんずれていると思う。

子ども授かるかどうか分からなかった時は、子どもだけは、はよしとかなあかんかったなぁと生物的に反省したけれど、子どもが授からなかった人生についても自分なりに考えていた。

人と比べてというより、自分はどう生きたいか、ってことを大切にしてきたと思う。


それは、予備校を選択する自由を与えてくれた両親のおかげなのかもな。
勉強できなかったけれど、短大か専門学校なら入ることできたと思うもの。

普通からずれたことで、ちょっぴりしんどい部分もあったけれど、自由を得たのかもしれないな。

そう思ったらありがたいことだね。

幸せは、自分が決めることだもんなぁ。

まわりと比べて幸せじゃなくて、自分が幸せだと感じたら幸せなんよね。

まあ、ママ友ちゃんとできるやろか、なんて、不安は多少あったけどさ。
でも、できなくてもまぁえっかぁくらいに思ってたな。

そんなこんなで、普通ってのを目指してドキドキしている人がいたら、ちょっぴりはみ出し気味でも、まぁ幸せよってことを言いたいな(*^^*)

うん。
幸せは、自分で決めれるのだ*(^o^)/*

なんか、夜中で、疲れてるのもあって、へんなテンション。

でも、このままあげちゃおう。
読んでくださった方。
ありがとうございます(*^^*)

ではでは。

No.162
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