高杉の足跡 ~萩編 その1~ | 高杉晋作の生涯をたどる旅

高杉晋作の生涯をたどる旅

幕末の風雲児と言われた高杉晋作。
彼の足跡を訪ねてみました。

城下町 萩

萩藩(長州藩)の本拠地であり、晋作の生まれ育った町。

晋作にとっても本丸といえるところ。

4月1日、春とは言えない寒風が吹きすさぶ中、

やっと訪れることができました。

晋作生家

1839(天保10)年8月20日、

萩藩大組士 高杉小忠太の長男として晋作はこの家に生まれました。

 

 

晋作や両親の写真、遺品などが展示されています。

 

産湯に使ったと言われる井戸

晋作の句碑

「西へ行く人をしたひて東行く 心の底そ神や知るらん」

 

菊屋横丁

生家周辺は「菊屋横丁」と言わる武家屋敷が並ぶ通り

 

生家近くの’晋作公園’にはまげ姿の立志像があります。

明倫館や松下村塾へ通っていた頃の姿でしょうか。

 

藩校 明倫館跡

続いて晋作が学業や武道に励んだ明倫館跡を訪ねました。

南門  明倫館の正門が当時の姿のまま残っています。

 

有備館(武道場) これも当時の姿のままです。晋作もここで稽古に励んだのでしょう。

 

水練池 いわば昔のプールです。これも当時のままです。

 

藩校跡地にあった小学校

現在は観光センターになっています

中に入ると晋作と松陰先生が出迎えてくれます

内部は観光センターやレストラン、土産物店、

世界遺産ビジターセンター、幕末ミュージアムなどの展示室があります。

幕末に使われた砲弾

 

萩城跡

関ヶ原の戦い後の1608年、毛利輝元によって築城された萩城。

残念ながら1874年に取り壊されてしまったそうです。

大組士の長男だった晋作も、きっと何度も登城したことでしょう。

 

城内は桜が満開でした。

かつてはこんな城だったそうです。

CGで復元された萩城(明倫センターにて)

こんなきれいな城をこの目で見たかった。

 

松下村塾(松陰神社)

晋作が久坂玄瑞らとともに松陰先生の元で学んだ塾

ここは2015年、世界遺産に登録されました。

松陰先生がここで教えた期間はわずか1年ちょっとと言われていますが、

晋作や玄瑞をはじめ、伊藤博文、山県有朋、前原一誠らが

ここから巣立っていきました。

 

 

講義室だった8畳間 松陰先生の石膏像と肖像画、机があります。

そうそうたる顔ぶれの塾生達

 

「明治維新胎動之地」碑

ここはまさに「明治維新」という赤子が母親のお腹の中で動いていた地なのです。

 

今回は滞在時間が少なかったため、これしか回れませんでした。

萩は晋作にとって「聖地」であると感じた1日でした。