高杉の足跡 ~防府編1~ | 高杉晋作の生涯をたどる旅

高杉晋作の生涯をたどる旅

幕末の風雲児と言われた高杉晋作。
彼の足跡を訪ねてみました。

防府は山口県の山陽側の中央部に位置する、人口約11万の町です。

 

関ヶ原の戦いに敗れ、周防・長門の2か国に封じられた毛利氏は

はじめこの防府の地に城を築こうとしました。

しかし幕府はそれを許さず、やむなく萩の地に城を築いたそうです。

 

毛利氏が上方へ向かう際、防府の三田尻港から船を使ったと言われます。

萩往還の終点であり、別邸(御茶屋)もある防府は、

毛利氏にとってとても重要な拠点であったようです。

高杉もたびたびこの地を訪れています。

 

防府天満宮とその周辺

 

防府天満宮

言わずと知れた、菅原道真公を祀る日本三大天満宮の一つです。地元では「天神様」と

呼ばれています。

高杉晋作も天神様をたいそう敬っていたようで、

陣営に「菅原大神」と書かれた旗を掲げていたそうです。

 

 

大専坊

防府天満宮の参道の階段の途中、左手にあります。

1864(文久4)年1月、禁門の変へ兵を進めようとしていた総大将の来島又兵衛を説得するため、高杉がここを訪れています。

冨成博さんの「高杉晋作の生涯」(新人物往来社)によると、高杉は4日間ねばって説得を続けたそうです。

それでも承知しない頑固じいさま(来島)に向かって、

「それではてまえの首を斬るか、遊撃軍にしばりつけて行ってください。」と言い、

来島をなんとか折れさせたそうです。

 

 

暁天楼(ぎょうてんろう)

参道の階段の途中、右手にあります。大専坊の向かいになります。

かつては天満宮の門前町にありましたが、現在はここへ移築されています。

高杉や山縣有朋、桂小五郎、坂本竜馬らがここで密談したと言われています。

1階部分は漬物小屋にみせかけており、2階には隠し部屋があります。

 

 

宮市本陣兄部家

商人であった兄部(こうべ)家の屋敷で、本陣として使われていました。

記録にはありませんが、高杉も滞在したことでしょう。

残念ながら2011(平成23)年、火災で大部分が焼失し、今は門だけが残っています。

 

 

 

野村望東尼の碑

天満宮の西側、演舞場の北にあります。

高杉の恩人である野村望東尼の像と、有名な歌

「おもしろきこともなき世におもしろく・・」の碑があります。