12月10日(土)のこと。
姫路城🏯行って来て、夜ご飯にお好み焼き食べて、21時前頃にお風呂でも入るか〜と思っていたら、スマホに着信!
表示されたのは、お父さんの病院。
慌てて出ると、お父さんの呼吸がだいぶ浅くなっていて、脈も測れないほどで、すぐに来れますか?とのこと。
もちろんすぐ行くけど、遠い💦
「来られても間に合わない可能性も有りますが」
と言われたけど、当然慌てて行った。
帰れないだろうから、着替えの下着だけ持って。
Myhusbandは、だいぶお酒飲んでいたので1人で電車乗って。
家を出て30分もしないうちに、また病院から電話あり。もう全ての機能が止まってるとのこと。
宣告は私が行くまで待ってくれることに。
垂水駅に着いたら、タクシー乗り場が大行列😭
20人くらい。寒い😵
週末の夜だからか、グループで待ってる人が多くて助かった!そんなに待たなくても乗れた🚕
23時頃に病院着。
看護師さんが、病室に案内してくれた。
お父さんは、両目を開けて口も開けて...亡くなった状態で待ってくれていました。
十数分後、当直のドクター到着。
「23時23分、ご臨終です」
(なんという覚えやすい時間💦)
看護師さんが、死後のケアをしてくださっている間に、
「お迎えが何時になるか、わかったらすぐ教えて下さい」と言われ、葬儀屋さんに電話。
市が経営している斎場の隣にある施設は、予約がいっぱいで13日まで霊安室も空きが無いと言われた。
なので、家族葬専門の葬儀屋さんに電話。
希望した支店に空きがあったので、受け入れてもらえた。
約1時間後に、お迎えの車が来てくれた。
私も寝る場所も無いから、一緒に車に乗せてもらう事にした。
病院の1階までエレベーターで降りると、秘密の通路みたいなのが開けてあり、建物の外に出られる裏口があった。
そこに寝台車が横付けされていて、お父さんが運び込まれ、その横に私が乗った。
病院は垂水区、葬儀屋さんは明石市なのでちょっと距離があり、真っ暗だしどこ走ってるかわからないし、凄く長く感じた。
葬儀屋さんの裏口から入り、朝になるまでの、とりあえずの待機室のような部屋に案内された。
そこには、遺体を冷やすガラス張りのカプセルみたいなケースがあり、お父さんはそこに安置。
そして真夜中の2時頃に、夜勤担当者と簡単な打ち合わせ(´-`).。oO
眠くて頭が働かない😓
なんとか打ち合わせを終えて、部屋と建物の出入り口の鍵を預かり、従業員さんは帰って行き、私とお父さんだけ残された。
たまに、お父さんの顔を見て、話しかけたりしながら、用意されてた布団敷いて、服のまま布団に入った。
朝9時から打ち合わせが始まると言われたので、7時には起きなくちゃいけない。
全く眠れない。けど、iPhoneの充電器を忘れたのであまり使えない。
4時間くらいしか寝る時間が無かったけど、寒くて3回もトイレ行ったりウロウロ😓
ほぼ寝ずに朝が来て、朝ごはんを買いに近くのパン屋さんへ行った。
7時過ぎなのに、パン屋さんはもう商品が充実してて、素晴らしい✨✨と、感動😅
自分の朝食用のパンと、お父さんにもお菓子🍪を買ってきてお供えした。
9時から、予定通り打ち合わせが始まった。
2時間かけて、細かい打ち合わせ。選択肢がたくさんあって、ほとんど値段が真ん中のを選んだ😅
こういう打ち合わせがあることは、3年前にMyhusbandのお父さんが亡くなった時、家族みんなで選んだから、なんとなくイメージがわかってて助かった。
今回初耳な言葉が出た。
【エンバーミング】という言葉。
なにそれ???
【エンバーミング】か【湯灌】かを選択されられて、悩んでいると【エンバーミング】を勧められたので、そっちを選んだ。
エンバーミングについては、後から調べて詳しいことがわかったけど、医学的な処置っぽくて、それをするとドライアイス無しでも、かなり長時間遺体を保存出来るらしい。
棺桶の種類、骨壷の種類、お花の種類、祭壇の種類、装束の種類、、、来てもらうお坊さんの手配、お通夜の夜とお葬式の日の食事、、、たくさん決め事があり、全部勝手に選んだ。
こういう場合、1人でやる方がすぐ決められていい👍
見積もり出して貰ったら、予想よりだいぶ高くてビックリしたけど、まあ了承した。
そして、11:30頃に横浜から姉夫婦が到着。
そして、お父さんの顔を見て貰って、そのあとお父さんはエンバーミング処置のために、別の施設に連れて行かれた。夕方まで戻らないとのこと。
私は、その場を一旦姉夫婦に任せて電車で家に戻った。
Myhusbandには家で待機していてもらってたので、大急ぎで礼服の準備と泊まる準備をして、車で再び明石へ🚘。
お父さんが夕方に葬儀屋さんに戻って来た。
エンバーミングとは、、、
遺体から、血液や排泄物とか全部抜いて、衛生的な処置もされ、故人の見た目を生前の元気な姿に近づくようにしてくれていて、お父さんは、ガイコツみたいに骨と皮だけになっていたのに、ほんとに顔が元気な頃のように戻っていた!(◎_◎;)
本当に、ただ眠っているだけのような顔で、もしかして目覚めるのでは??って思ってしまうくらい。でも蝋人形みたいに堅かった💦
お通夜が11日18:00〜。
直前には、甥っ子2人も横浜から到着。
6人だけでの家族葬。
終了後、みんなで式場でお寿司を食べた。
この日は、広い家族控室を使えて、4人泊まれるので姉一家が泊まってくれた。
私たち夫婦は近くのホテル泊。
お父さんのお兄さんにだけ、電話で亡くなったことを知らせたので、夜遅くにお父さんの顔を見に来てくれたらしい。お父さんもきっと喜んだと思う。
お葬式は12日13:45〜。
斎場の空き時間の関係で、そんな時間からになったけど、ちょうど都合が良かった。
13時前に介護タクシーを予約していて、お母さんを施設に迎えに行った。
7人でのお葬式。
お葬式が終わり、斎場に行き、そのままお母さんを施設に戻して、再び葬儀屋さんに戻って食事。
そのあと、お骨上げに行き、再び葬儀屋さんに戻り初七日の法要まで行って終了。
色々と忙しくて、お父さんが亡くなったことを悲しむ時間も無かった。
最後の3日間、毎日顔を見に行けて、本当に良かったと思う。
息を引きとる瞬間、側にいられなかったけど、お父さんも寂しく無かったと思う。
苦しまなくて良かった。
お葬式の夜は家に帰った。
翌日再び車で明石へ。
姉夫婦と4人で昼ごはん食べながら、今後のことなど相談。
Myhusbandはこの日に福岡へ帰るのでお別れ。
姉の旦那さんがもう1日お休みだったので、午後から役所など色々手続きに行く際、車で連れてってくれた\( ˆoˆ )/
あちこち移動が大変なので助かった👍
年金事務所は、予約が必要だったのでこの日無理で、私が後日(15日)に1人で行って来た。
なんとか、お母さんの年金手続きも終了。
16日から私も仕事復帰👍
たまたまシフトが休みの多い週になってたから、欠勤したのは2日だけで済んだ。
年明けて、四十九日の予定も決まり、位牌を作る手配も完了。
お父さんは昭和10年生まれ。享年88歳(満87歳)でした。