10月27日(木)の出来事。朝、
介護施設から電話。
「今朝からお父さんが意識不明だとのこと」
救急車で搬送された病院に急いで行った。
施設の看護師さんが、ずっと付き添ってくれていて、一緒に救急外来の担当医師から話を聞いた。
この頃、食べ物を飲み込む能力が衰えて来てるという話は聞いていたけど、ここ数日は水も飲めていなかったようで、極度の脱水症状。
そして、CT検査では肺にも誤嚥性肺炎の影があるとか。
最近による感染で、血液にも細菌が充満し、身体中に細菌が広がっていて、予断を許さない状況とのこと。
救急治療室から病棟へ移動する際に、私は父親の顔を見ることが出来たけど、本来病院はコロナにより面会禁止になっているので、横浜から駆け付けた姉は間に合わず。
2人で近くのホテルに滞在。
食欲ないので、夕飯は明石駅できしめん
28日(金)も病院へ。
オンライン面会の予約をしていたけど、面会前に担当医に話を聞くことができ、危篤と言える状態なので、直接面会の許可を出しますと言われた。
直接会えるのは良いけど、そんなに悪いってこと⁉️と、怖くなった。
医師の話では、若い人ならば即集中治療室に入り、どんどん大量の点滴を打ち、肺が浮腫んできたら人工呼吸器をつけるとか、透析もするなどの治療をするけど、86歳と言う年齢で、そこまでの延命治療をする意味はあるのか?私ならやりたく無い....などと言われて、元々無理な延命治療はしないと決めていたものの、ちょっと悩んだ。
初日の救急医の先生からも、色んな管を繋がれたら、自分で抜く行動を防ぐために、常に鎮静剤を使い続けることになるから、意識が無いような状態でただ生き続けることになる...と言う話もされた。
なので、姉と相談して、抗生剤の点滴治療だけに決めた。
この日も、お父さんは呼びかけたら目を開けて、こっちを見てくれていた。
尿の出が悪いからか、顔が浮腫んでるように感じた。体重はもう30キロ台らしい。
この日、私は夕方にMyhusbandが帰ってくるので新大阪へ。待ち合わせて夕飯を一緒に食べ、家に帰って着替えを持って、夜に再び明石へ。
姉とまたホテルに泊まった。
つづく