明るさを増していく静かな空に悠々と飛ぶ大きな鳥を眺めながら、ラザノルドは言葉を選びながら伝えた。
「奇妙なことがあったのです」
ゼノビアルは怪訝な顔をして繰り返す。
「奇妙な?」
ラザノルドは何かを思い出そうとするかのように、しばらく目蓋を閉じた。
「人は何ゆえに力を求めるのでしょうかな」
「さて、力にもいろいろとあると思うが」
ゼノビアルは眼下に広がる城下の街並みと、その中に静かに佇む複数の工廠の兵器に視線を向けた。
「工廠の技術者たちは、力は神から与えられた崇高なものと考えておった。そして、人知の及ばぬ巨大な力にすこしでも近づこうとする研究が長年重ねられてきた。しかし、その力を我がものとして扱おうと考える者が現われた。それが、この反乱を首謀したザミテラなのです」
大きな鳥は巨大な輪の軌跡を描きながら、灰色がかった雲の下を殆ど羽ばたきもせずに飛んでいる。
「他国で生まれ育ったザミテラは、研究に必要な物資を調達するに役立つ諸国との接点を数多く持っておった。我々としても初めはあやつに協力し、これまで自治国から一度も外に出したことのない多くの機器を他国のために利用することを考えた。だがそれは機器の持つ力を各国の役に立てるためであって、我々は特定の個に利するものとは考えておらぬ」
ラザノルドは地平線に広がる森林地帯を見据えて睨むような表情をした。
「しかしあやつは、自治国の力を高めるためという名目を掲げ、領土の更なる拡大を主張した」
「それで、セルカトと組もうと」
「そうに違いあるまい」
「しかし、セルカトの北西には我々レセタ、南にはマシーモがある。領土の獲得はそう簡単ではないと思うが」
「我々ヘリケ自治国はこれまで、議会をもって国をまとめその力を保ってきた。しかし、そのやり方を維持するには領土の広さが限られる。つまり、領土を更に拡大するには他国の利害を利用するしかない」
「セルカトなら利用し易いというわけか」
「左様、侯爵様もセルカトが領土拡大の好機を伺い軍備を進めていることをご存知でありましょう」
「しかし、セルカトとてザミテラの思い通りにはなるまい」
「ザミテラは工廠の力を使う時を考えておるのだろう。それが故に、この戦では開発された兵器を使わず、セルカト軍が領内に入り込む手助けをした」
「何か考えがあるということなのだな」
ゼノビアルは、眼下の兵器を再びじっと見つめた。
工廠炎上には幾つかの噂があった。
一つは、工廠の地下で密かに研究が進められていた最新兵器の開発中に不手際があり爆発が起こった、というもの。また一つは、何者かが工廠に蓄積された知識の流出を恐れ主要な機器を退避させた上で火を放った、というものだ。
何れにしても工廠は全て炎上して灰と化し、カデレナ大陸随一と言われた知の聖地が失われたことは事実であり、その際に発生した人的被害はごく限定的だったこと、そして最新兵器をはじめとする機器の半数以上が被害を免れたことも、また事実であった。
セリト工廠は、肥沃な大地や海洋資源を持たないカデレナ大陸東部中域に位置するヘルケ自治国の前身、エリノリム公国がエネルギー資源開発を促進するために設立した拠点を基としており、元来、兵器開発は自衛のための必要に限り行っていた。
近年のような兵器開発優先の機運が高まったのは、マシーモがバシュナへの侵攻を試みた西方戦争がマシーモの撤退により終結し、周辺各国がマシーモへの相対的な力を持ち始めた時期に一致している。
それでも各国がヘリケ自治国には圧力を加えず友好を保ち続けてきたのは、自治国が自衛を重視し中立を主張し続けてきたからなのであるが、加えて、人智の及ばぬ力を持つ兵器が開発されているとの噂が常に存在していたからでもあった。
しかし今や工廠は失われ、所有する兵器の姿はセルカト軍、レセタ軍のもとに明らかとなった。
各国はこれにより、未知の不安を解消し具体的な行動を想起し易くなったと言える。
マシーモの帝都カルアカラでは、ヘリケ領内に進軍したセルカトへの対応が議論されていたが、その決定が下される前に、バシュナ方面からの大規模な攻撃を受け、西域の部隊に大きな被害を出したのだった。
セルカトの西方守備中隊は、レセタ方面への戦線の拡大を控えるよう命じられたまま、ヘリケの森に駐屯していた。
しかし、バシュナ方面からマシーモに突然の攻撃が行われたのを知ったランディエルは、直ちに斥候部隊を泥炭部付近まで展開させ、レセタとバシュナ間の往来を監視させていた。
バシュナ公国は嘗てレセタがマシーモに侵攻しようとした際、側面からの攻撃によりその行動を封鎖した。
それは、西域戦争終結後に通商条約と不文律の紳士協定によりマシーモとの相互不可侵を守ってきたバシュナが、公国領の一部を侵して進軍しようとしたレセタをマシーモとの関係において攻撃したものと思われてきた。
だが、ランディエルはその通説に疑問を抱いていた。
バシュナはマシーモを守ろうとなど微塵も思っていない。
レセタの進軍を抑えたのは、レセタを北方に封じ、マシーモに対する力の行使を容易にするためだ。
バシュナは西方との貿易により確実にその国力を高めている。
老いた大国であるマシーモに蓄えられた富と文化を手にすることで、その力はカデレナ大陸で最大となるに違いない。
更にランディエルは首都エルタリアを通じ、最北東の小国メルキトに陽動を要請していた。
メルキトはセルカトの属国であり、使者からの伝達を受けたメルキトの女王アラクシアは、直ちに全国内を戦時体制へと移行した。
西方守備中隊がレセタとの戦闘に突入した場合、メルキトはレセタの北東から牽制を仕掛ける。
また、セルカトの主力部隊がマシーモへの進軍を開始した場合には、ランディエルはメルキトとともに北方からのレセタの動きに備えるつもりでいた。
帝都カルアカラ。
城下の喧騒からは、いつもの気だるい陽気さが消え、強い緊張感が漂っていた。
ルティードは巨大な城門を抜け、会議の間へと急いだ。
「只今参りました」
「おお、よく来てくれたルティード」
「状況はどのような」
「西域の半数が壊滅。兵力を再編成しているが、直ぐに動けるのは帝都大隊、第一大隊、南域方面大隊、他には三個中隊程度の編成がやっとだろう。それから、最西部の守備隊はどうも無傷のようだ」
「最西部?」
「そうだ。バシュナの部隊は動いていない」
「他には」
「他とは?」
「他に変わった様子はありませんか?」
「…いや、バシュナが何を考えておるのか、皆目、見当がつかぬ」
「最西域との確かな連絡は?」
「まだだ」
この国は、平和な時の中で大切な機能を失ってしまったのではないか。
ルティードは危機感を抱ていた。
バシュナがいつ地上の部隊をもって攻撃を仕掛けてくるか分からない。
が、その前にセルカトが領内に侵入してくる可能性もある。
セルカトがヘリケを占拠したとの情報が次々に届けられているのだ。
まずは急ぎ部隊を再編成し、次に起こる可能性に備えねば。
「最西部の守備隊をいったん南方に合流させ、第一大隊を北東に展開させましょう。それから、ヘリケ自治国のラザノルド議長がレセタに身を寄せていると聞いています。直ちに使いを送り協力体制を築くべきです」
ルティードは、セルカトの動きを封じバシュナを牽制するためにはレセタとの同盟が必要だと考えていた。
レセタは嘗てマシーモへの進軍を図ったことがあり、決して友好的な関係にはなかったが、バシュナからの攻撃を受けた以上、ラザノルドを頼ってレセタとの関係を取り持ってもらうことが最善と考えられた。
しかし、第一大隊長ドノートンはその案に強く反対した。
「それでは最西部を明け渡すようなものではないか。我々はバシュナから攻撃を受けたのだぞ!バシュナへの反撃を行うのが当然ではないか!」
第二大隊に所属する中隊長、及び帝都大隊長ミルシュの副官カザルノもドノートンの意見に賛成した。
ここで速やかに反撃の意思を示し成果を挙げなければ、兵士達の士気が低下し、国内の不安も拡大してしまうというのがその論拠であった。
王城での会議は完全な結論を見ることなく終了し、作戦が開始された。
第一大隊配下の中隊と帝都大隊の一部のみがカルアカラ及び北東方面の守りにつき、主力部隊はバシュナへの反撃のために西へ向けて進軍を開始した。
その途上で攻撃を受けた第二大隊及び西域方面部隊の残兵力を吸収拡大し、更に南域方面大隊との二方面からバシュナを攻撃するという作戦であった。
同時に、ラザノルドへの使いも発せられることになった。しかし、ルティードは当初考えていたバシュナへの牽制をその目的から外し、セルカトの動きを封じることだけを伝えるに止めた。ともに森に侵入したセルカトを排除し、元の自治国を取り戻そうではないかと。
そして、レセタにその協力を得られるのならば、レセタはセルカトの西に広がる肥沃な土地と豊富な資源を獲得することが可能であろうという意味のことを述べさせるようにした。
ヴィアナは窓辺のテーブルの上に座り、西に向けて進む大軍勢を眺めていた。
街中がバシュナへの怒りに満ちており、軍勢は歓声をもって見送られた。
あの人が西への進軍を進言したのだろうか。
いや、あの人ならそうはしないはず。
バシュナに対抗するには山岳地帯の側面から攻撃を仕掛ける必要がある。
その正面に大軍を向けるのはあまりにも危険過ぎる。
山岳地帯の端から進むことが出来るのは、北のレセタと、ちょっと遠いけど南方の部隊だけ。
うまく南方との連絡がついていればいいのだけど。
ルティード。
あなたは、きっと北東の守りで精一杯になるでしょう。
だから、私が。
私が南方の部隊にいく。
「ドリーフェル、いる?今から南に向かいます。直ぐに仕度をお願い」
「はい⁉ 南、ですか?」
「急いで!時間がないの!」
「はい、…」
ルティードの命を受けウナーナのラザノルドのもとに向かったのは、カルアカラ城下の警備隊を率いるロバックである。
ロバックは嘗てマシーモの南東、ドルビリア湾岸に広がる街ガルニアを拠点とする反乱勢力を束ねていた。
当時、帝都直轄部隊副隊長であったルティードによって掃討されたガルニアの諸勢力の中で、最後まで陸海の戦略を駆使して抵抗を続けたのがロバックであった。
ルティードは、逃げ散った残党を全て集めて配下となることを引き換えにロバックの命を救った。
「今度はどんな厄介な仕事なんだい」
「簡単な仕事だよ。ラザノルドに伝えて欲しいんだ。レセタの力を借りてセルカトと組んだ反乱軍を討つ好機だってね」
「何だいそりゃ、また随分と簡単な仕事だな、軍師さん」
ロバックはおどけた表情をして言った。
「自治国の連中は、おかしな物を沢山持ってる。ガルニアの仲間が何人も宝を探し出そうと出かけていったが、森の一番奥まで入って帰ってきたヤツは一人もいない。ラザノルドとお友達になるのは気がすすまんよ」
「なんだ、珍しいな。怖がってるのか。ラザノルドはマシーモとは友好関係を築いてきた。おかしな事はしないさ」
「怖いわけじゃない。だが、俺達はいつだって自然の力を味方にして戦ってきた。それが、自治国の連中は何かがおかしい。何故そう感じるのかは分からないがね」
「そいつもついでに調べたらいいさ。それより道中、セルカトの部隊に注意を。今頃各地に斥候を展開させてるはずだ」
「ああ、分かってるって。そうだ、議長にお土産は何がいいかね」
副指令セルドアムは、ランディエルからザミテラに不便の無いようにと住環境の整備を指示されていた。
勿論、監視を兼ねて。
だが、ザミテラは滅多に部屋から出てこなかった。
あの男は何者なのだろう。
瞳の輝きからは、何か違和感を感じる。
昔、どこかで感じたような言い表せない不安。
いや、不快か。
ランディエル殿は、どうされるつもりなのか。
議会の結論はどうなったのだろう。
バシュナからの光の矢がマシーモを破壊したのなら、セルカトには念願のマシーモ進撃の好機だ。
だが、ザミテラはそれを望むのか。
それに、工廠の連中の多くは今もラザノルド議長のもとにいる。
思いを巡らすセルドアムにランディエルから指示があった。
ザミテラ殿を作戦本部にお連れするようにと。
続く
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