吹雪きの夜、真っ白な着物を着た美しい女性が、泊めて頂けないか、と言って訪ねて来た。

 

何もない小屋だが、朝には天気も回復するだろうし、すこし汚いけど離れの部屋なら自由につかって貰えれば。

 

そう答えて、中に案内した。

 

寝床と着替えるものを用意しながら、暖かい飲み物でもつくるから少し待っていて、と言った私に、その女性は、良いと言うまで、この襖は決して開けないでいてもらえますか、といって微笑んだ。

 

私は、待っていた。

 

 

 

そして、3万年の歳月が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

小屋のあった場所は、熱帯の草木に覆われていた。

冬だけれども、雪はもう降らない。

時折、どこからか機を織るような音が聞こえる。

 

 

 

結局私は、あの襖を開けることはなかった。

それが、二人の約束だったからだ。

 

しかし、3万年も経ってしまうと、そうすることが良かったのかどうか、すこし怪しく思えてくる。

 

私は、あの白い着物を着た女性が、山で罠にかかっているところを助けた一羽の鶴であることに最初から気づいていた。

小屋を訪ねて来た時に、私の心にはぼんやりとした鶴の姿が感じられていたからだ。

 

それからいく日も、部屋の中からは機を織る音が聞こえていた。

 

私が襖を開けなかったことで、あの鶴は、正体を見せるキッカケを失ってしまったのではないだろうか。

 

あの鶴もきっと、悩んでいたに違いない。

 

恩を返すためや、王子様にまた会うために人の姿に変えてもらう魔法には、その正体を直接見られ、あるいは触れられることでしか解けないという交換条件が存在しているからだ。

 

そして、多くの生き物たちにとって、仲間から離れ人間の姿でいるということは、さまざまな苦痛をもたらす。

 

そうしたことを、私たち人間は進化とともに理解してきた。

 

いまでは、世界はひとつに繋がっている。

私はそんな世界を構成している一要素に過ぎない。

 

だからこの後、生い茂る草木の中から、豊かな生態系を維持するための重要な役割りを果たす巨大な肉食獣が現れて、私を捕食することもわかっている。

 

 

 

いや、待ってくれ。

それはおかしいだろう。

 

なぜ私が捕食されなければならないのか。

 

そうやって生命は全体を調和させ、進化のバランスを維持してきた。

そのバランスをかつて人間が完全に破壊してしまうような危機をもたらしたことも、全て詳細に把握している。

 

いまや個の知識は全体の知識とイコールだからだ。

 

だが、最も重要な進化は、全体のバランスだけでは起こり得なかったはずだ。

そのことが生命の発生と進化の、隠された秘密だったはずだ。

 

しかし今では、世界の知識も、この最も重要な秘密にはアクセス出来ない。

 

何故そうなってしまったのか。

それを明らかにするまでは、私はあの進化した巨大な獣に捕食されるにはいかない。

私の、私自身の、進化を実現するまでは。

 

 

 

その時、辺りの茂みを猛烈な勢いで破壊して、巨大な肉食獣が現れた。

 

そして私が今にも捕食されそうになった瞬間、一羽の美しい巨大な鶴が現れ、肉食獣の急所である首の付け根に背後から硬い嘴を突き刺した。

 

獣は大地を揺るがして倒れ込み、鶴は高い鳴き声をあげて、大空へ、太陽のもとへと飛び去った。

 

私の心の中に、鶴の言葉が響く。

 

それは、かつて私が鶴にかけた言葉だった。

 

 

 

さあ、お行き。

 

二度と罠なんかに、かかるんじゃないよ。