桃太郎が鬼ヶ島の入り江に着いたのは、月の無い夜の丑の刻を過ぎた頃合いであった。

闇に紛れて城に奇襲をかけ、鬼の総大将の首をあげるつもりだったのだ。

 

しかし、港を守る大きな鬼の一人にさっそく見つかってしまった。

 

「むう、怪しいやつ、何者か」

 

桃太郎は、丁寧にひざまづき低い声で答えた。

 

「御大将に魚介を献上奉った。明日は祭りと聞いておりましたゆえ」

 

鬼は、桃太郎のいで立ちを嘗めるように見回した。

 

「その刀をよこせ」

 

桃太郎が左手で刀身を鞘ごと押し上げようとすると、鬼は再び大声を上げた。

 

「まて、わしがやる。手は横に伸ばしておれ」

 

刀を抜き取ろうとした鬼は、奇妙なものに目をとめた。

桃太郎の腰に何か重そうな麻袋がぶら下がっている。

 

「なんだ、これは」

 

鬼は大きな目を見開いて、麻袋に鼻を近づける。

 

「甘い匂いがする」

 

桃太郎は、顔を地面に向けたままゆっくりと答えた。

 

「黍団子でござる。ビタミンB、亜鉛、カルシウム、鉄が豊富ゆえに旅には重宝いたす」

 

鬼は、顔を顰めて言う。

 

「そうか。美味いのか」

 

淡々と続ける桃太郎。

 

「膵臓や胃の働きを助ける効能もあり、祭りの前に食べるに良き菓子にござる」

 

鬼の顔は綻んだ。

 

「おい、お前、そいつもわしによこせ」

 

鬼は奪い取った刀で麻袋を叩いた。

 

桃太郎は静かに答える。

 

「畏まった」

 

紐を解いて袋ごと鬼に渡す。

 

鬼はさっそく麻袋を開いて中の黍団子を掴み出した。

 

厚い爪の生えた太い指を、涎を滴らせた口に、一つ、二つ、三つ。

そうして麻袋に入っていた六つの黍団子を全て食べきってしまった。

 

「美味かった」

 

桃太郎は、ゆっくりと顔を上げて言う。

 

「刀をこちらに渡せ」

 

鬼は笑顔で従った。

 

 

 

 

 

 

 

鬼の案内で、桃太郎は安全なけもの道を抜けて城に近づくことが出来た。

しかし、ここからは警備が厳しく城門を超えるのは難しいことが分かった。

 

「裏手に手薄な場所はないか」

 

鬼は言う。

 

「外門の内には三百の仲間がいる。櫓の番兵が見張っておるゆえ、どこから入ったとて同じことだ」

 

「あの櫓か」

 

松明を焚いた櫓の上で城内を見張る鬼が周りを常に監視している。

 

「厩はどこか」

 

「わしら馬には乗らぬ、あるのは猪の畜舎だ」

 

桃太郎は、鬼の横顔に視線を向けた。

 

「猪、飼い馴らせるのか」

 

鬼は笑って答える。

 

「乗るわけじゃねえ、食いものにするんだ」

 

桃太郎は、視線を正面に戻して言う。

 

「…猪か」

 

「そうだ、美味い」

 

 

 

 

桃太郎は夜明けを待つことにした。

通ってきたけもの道は、犬たちが辿ってきてくれているはずだ。

猿たちも鬼の動きを把握することが可能な木の上に展開し始めているだろう。

 

しかし、あの櫓。

 

見つかれば夜襲は不可能になる。

鳥目の雉たちが先制攻撃をかけるのは困難だ。

ここは朝餉の時を狙って一斉攻撃を仕掛けるしかない。

 

鬼は、地面に盛り上がった太い木の根を枕にして眠ってしまった。

黍団子の効果は飲み込んでから小腸を通過するまでだ。

悪いが、ここで。

 

桃太郎は静かに刀を抜いたが、振り下ろすことは出来なかった。

 

犬や猿たちもこの鬼の存在は把握しているはずだ。

団子の効果が切れた後のことは任せるとしよう。

 

桃太郎は、眠る鬼の傍からそっと離れた。

 

 

 

 

戦で犬たちは鋭く尖った牙を使う。

各隊は巨大な狼に率いられていた。

それは、危機を前に太古の生命の持っていた力が発現して与えられたものであった。

 

大きな体つきの猿たちの戦いの道具は柿だ。

重心を片側に寄せるようにして鉛が仕込まれているため、巨大な蟹をも一撃で倒すことが出来た。

加えて猿たちは、桃太郎の妻から授けられた特別な小袋を携えている。

 

そして雉たちは、空から鬼たちの目や首の付け根を狙い攻撃を仕掛ける。

しかし敏捷性の高い猿や攻撃力を持った犬に比べ、力の弱い雉が鬼に捕まることは死を意味する。

地上からの攻撃を同時に仕掛けることで雉を守り、攻撃効果を高める必要がある。

 

 

 

 

次第に東の空が白み始め、城のあちこちから朝餉の支度の湯気が上がり始めた。

 

今だ。

 

雉の鋭い鳴き声が響きわたり、戦は始まった。

 

桃太郎が門を守る番兵に突進すると同時に、巨大な犬たちが叢から次々に姿を現し後に続く。

 

驚いた番兵は城内に逃げ込もうとしたが、背中から桃太郎に切りつけられて倒れた。

その首に狼の牙が食い込む。

 

猿たちは城壁をよじ登り瞬く間に城門の閂を内側から開けた。

 

開いた門からなだれ込む桃太郎軍。

 

門内の広場にいた数名の鬼は声を上げる間もなく倒されたが、櫓上の見張りが異変に気付いた。

 

皆に知らせようと首を捻ったその瞬間、雉の鋭い嘴が喉元に突き刺さる。

 

「ぐ」

 

声にならない声を発したその鬼に何羽もの雉が群がった。

 

 

 

 

桃太郎軍は流れるように城門を抜けていく。

 

鬼の正体は太古に滅んだ人類の遺伝子であった。

より強力な力を持った人類と現人類の混血により保持されていた遺伝子、それが、より大型の人類と現人類の混血により保持されていた遺伝子と出会い、再び力を得て世にその姿を現したのだ。

 

言葉はすこし不自由ながらも、現世に繁栄する人類と同じ知能を持ち合わせている。

しかし伝承には、そうしたことは何も記録されていない。

 

 

 

 

鬼の総大将は桃太郎軍の攻撃を知り、各隊に向けて速やかに反撃の策を指示した。

赤隊が二の廓で侵入者を待ち受け、青隊が回廊から側面攻撃をかける。

 

しかし、その動きは上空を飛び回る雉たちによって逐次伝えられていた。

犬たちは雉の発する声の合図に呼応して、鬼たちの少ないルートを突き抜けていく。

 

突然の侵入者に驚いて振り回した鬼の金棒が朝餉の鍋に当たって吹き飛び、汁を浴びた薪の炎が濛々とした湯気を上げる。

 

城内に飛び交う無数の柿。

畜舎から放たれた猪たちが至る所に突進して混乱はさらに拡大した。

 

 

 

 

柿を投げ尽くした猿たちは携えた袋を外した。

猿の大将が叫ぶ。

 

「一番手柄は犬どもに渡すな!総大将を見つけ出せ!」

 

桃太郎の妻が拵えた小袋の中には、山の上の秘密の陽だまりで密かに育てたハバネロの粉末が入っていた。

粉末にするための良い手順を見つけ出すまでには三度目鼻や喉を傷め、二度寝込んだ。

 

さらに、小袋にはもう一つの粉が混ぜられていた。

あの黍団子の素だ。

 

猿たちは障子や襖を次々に引き裂き、総大将の居所を探す。

そして鉢合せした鬼の顔面に小袋の粉を投げつけた。

 

「があっ!」

 

鬼は痛みに耐えかねて両手で目を覆い、そこに犬や雉が襲い掛かる。

 

時には目を閉じたまま振り回した棍棒が梁を破壊し、崩れてきた屋根に両者ともども巻き込まれて下敷きになった。

 

 

 

 

しばらくして新たな異変が起きた。

 

猿の大将の命に従った鬼たちが、赤隊の鬼に襲い掛かったのだ。

 

城内は修羅場と化した。

 

振り回される棍棒を避けながら刀を閃かせて鬼を切り倒していく桃太郎。

 

周りでは鬼同士の激しい戦いが捲き起こる。

 

その中で一人の鬼が桃太郎の前に立ち塞がった。

港で出会ったあの鬼だ。

 

「よくも、わしを誑かしてくれた!」

 

その瞳は狂わんばかりの怒りを湛えて見開かれていた。

 

猛烈な勢いで突進し振り下ろされた棍棒に、桃太郎の袴のすそが触れて裂かれた。

 

わずかにバランスを崩しながらも後方に飛び退いた桃太郎の左足は、再び大地を掴んだ瞬間に大きく跳躍し、同時に放たれた一閃が鬼の左腹を切り裂く。

 

鬼は地面に突っ伏して倒れ込み、もう動かなかった。

 

 

 

 

雉が長く甲高い声を上げた。

 

鬼の総大将が見つかったのだ。

 

駆け付けた桃太郎が目にしたのは、向かってくる複数の鬼たちと激しくぶつかり合う総大将の姿であった。

 

その周りを取り巻くように狼たちが睨みを効かせている。

 

総大将の居所を最初に捉えたのは狼の鋭い嗅覚だった。

 

猿たちは、残る赤隊、青隊の鬼たちがその場に近づけないよう牽制を続けた。

 

ひときわがっしりとした体躯を持った総大将は、攻撃してくる鬼たちを残らず倒したが、その体力は限界に近づいていた。

 

金棒を握る右腕は肩から下がり、隆起した筋肉が大きくゆっくりと波打っている。

 

そして、僅かに力が抜けた一瞬、桃太郎の刀がその首筋を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

桃太郎軍は勝鬨を上げ、鬼たちは降伏した。

 

鬼ヶ島には惨状が広がっていた。

 

何か幾つものどろどろとしたものが震える塊となって岩場から海の中へと入っていった。

 

だがまもなく、座禅の会の初代会長である花咲爺がやってきて、灰を撒いてくれるはずだ。

爺の灰は、野山で採れた30種の樹々の枝や根に加えて、牛舎の横の温かい場所でねかせた肥料が絶妙なバランスで配合されている。

堺のあきんどが売りに来る草木灰に比べても、その効果は抜群だ。

 

一斉に咲く桜。

 

その根元に、鬼たちは眠る。

 

桜は次の季節にも、そのまた次の季節にも、静かに咲き誇る。