イースター島に住んでいた住民たちには幾つかの部族が存在し、みなが平和に暮らしていたといいます。
海の幸と森の恵み、生活に必要な十分な飲み水もありました。
鮫や毒のある海の生き物にだけは気をつけるよう子供たちにも教えておく必要がありましたが、地上には猛獣や侵略者はいません。
そんな幸せな日々を守るために、モアイは造られました。
集落を守る聖なるマナの力を持った石像たち。
しかしいつしか、石像は自らの部族の力を誇示するとともに、他の部族の魔力を弱めることを目的として作られるようになってしまったのです。
これは、ピラミッド築造事業のような、巨大な富を握る王が民に大いなる目的と労働の場を提供するような種類のものではありません。
全体を統治する王がいない島で部族ごとに石像は作られ、対抗する部族によって破壊されます。
この時点で本格的な部族間の戦闘が発生していたのでしたら、石像の数を競うような悠長なことをしている余裕は無かったはずですよね。
その石像は、集落を守る防壁にも楯にもならず、ただ立っているだけなのですから。
にもかかわらず、モアイは造られ続けました。
多くの労働力をモアイ製造に費やすことが出来るほどに人口が増え、住民たちの生活が豊かで効率化されたものになっていたからこそ、それが可能だったのです。
石像を生み出す過程で、石を加工し運搬する技術も発達しました。
そうした技術により、新たな豊かさが生み出される可能性も存在していたはずです。
しかしそれらの技術は、木々や農作物を育て、海鳥たちを集めるための工夫には利用されませんでした。
モアイを造り続けるために木々が切り出され岩肌を削られた島の表面はしだいに荒れ果て、遂には大切な水をも十分に確保できない環境になってしまったのです。
そして部族間の争いが生まれ、拡大します。
住民たちは、この状況を改善するためにモアイの更なる力が必要だと考えました。
それだけが唯一の可能性であり、救いであると考えられたからです。
なぜ、このような過酷な環境の中で苦しみに耐え続けねばならないのか。
そんな思いを持つ住民たちに存在意義を与えたのが、モアイ造りだったと考えられます。
モアイのマナの力によって敵の力を奪い、自らの部族に幸福をもたらすために。
しかし、そうした考えも、生きるための戦いの激化により終焉を迎えます。
島の人口は激減し、モアイを造る力も新たな文化を築く力も、完全に失われてしまいました。
島の住民たちはなぜ、モアイを造り続けてしまったのでしょうか。
もしも、モアイ造りに必要とされた労働力や高められた技術を、全ての部族が協力して環境を向上させるために使えたなら、島の文化はもっと大きな飛躍を遂げていたのではないかと思います。
モアイを造り続けることが可能であった理由は、島の生活が豊かで効率化されたものだったからなのですから。
にもかかわらず、住民たちがモアイを造り続けたのは、苦しい状況を解消できる可能性を高めるという目的としてそれが与えられたからではないでしょうか。
その目的が真の問題を解決してくれるものでは無いことは、すこし冷静に考えれば分かったはずです。
しかし、部族全体が苦しい状態にあるとき、そこに与えられた目的そのものに疑問を抱くことは、自らの存在意義と希望の拠り所を揺るがしかねません。
だから住民たちはモアイを造り続けたのだと思います。
偽りの意義と目的に疑問を持つことができなかったのです。
イースター島の歴史は、多くの示唆を与えてくれます。
私たちも、私たちの社会を構成する要素をどのように改善していくべきなのか、そのためにどのように力を合わせていくべきなのか、正しい方向に進むための意義と目的を本当に理解しているのか、そうしたことを常に考えながら進む必要に迫られているのだと思います。