以前から個人的に感じていることなのですが、クラシック音楽をエンターテイメントやイベントに取り入れようとする人は、なぜその本当の価値を正しく伝えようとしないのでしょうか。

 

 

 

例えば、ピアノやバイオリンの演奏に点数つけて競う番組。

最近は音大卒と同等の実力を持っている人が結構いますよね。

そうした人達や芸能人による楽器演奏競技のようなもの。

 

楽器を弾けない人や過去にすこしだけやっていたという人にはそれなりに楽しめるのかも知れません。

が、クラシックの曲に対するアプローチとはまるで違いますし、楽しめるポイントも楽器の演奏自体ではなく、それ以外の部分が大きくなってしまっています。

 

ピアノやバイオリンに関する理解を歪めてしまうので、お勧めしたくありません。

 

国際コンクールがある時だけ、クラシック音楽に関するすこし詳しい情報が流れたりしていますが、普段からもっと深堀りして、演奏技術や、曲と作曲家に関連した歴史や、時代の背景や、文化や学問や自然との関係性などを伝えてもらえたら良いのに、といつも思います。

 

各国のプロの演奏家さんのそれぞれの考え方や曲に対する思いの違いだとか、日本の明治以前の音楽シーンの構造はどうなっていたのだろうか、などの独自の視点も交えて、クラシック音楽の本当の価値を追求してもらえたら、音大に入って本格的に学びたいと考える人もまた増えるのではないかと思っています。

 

 

 

それから、ビジネスイベント会場に管弦楽を持ち込んでミニコンサートなどをやってしまうパターン。

 

音響効果が全く考慮されていない会場で、セミナー講演用のマイクを前にアコースティックな四重奏などを弾かねばならない若手の音楽家さんたちを見ると、なんだか悲しい気持ちになります。

イベントの主催者がクラシックのことを全く理解していないのだろうと思えるのも、また、悲しい気持ちを増幅します。

 

都心の大きなコンサートホールで、高いチケットを買って遠くから点のような演奏者を観ながら鑑賞するような従来からの構造が存在していることも、本当の価値の理解促進を妨げてしまっていると考えています。

 

地方の音楽祭のように、もっと間近で本格的な演奏による感動を得られる機会が必要なのだと思います。

 

 

 

自治体が役所などの公共施設でミニコンサートを開催する場合は、さすがに音響効果が考慮された場所で行われることが多いですが、せっかくの普段あまり聞けない曲目で構成されたクラシックのプログラムなのに、最後に皆さんの馴染みの唱歌とか童謡で一緒に歌ってしまったりされると、がっかりです。

 

役所に来られているのは地域の高齢の方が多いから、という配慮なのは分かります。

でも、クラシックの芸術としての価値をもっと本気でその場の皆さんに伝えて欲しいですし、馴染みの曲の場は別の機会に集中して設けるべきだと思っています。

 

 

 

逆に駅などに設置されたストリートピアノでは、プロ並みの実力を持った人が動画をアップするために弾いたりするのは控えてもらったほうがいいと思います。

上手くなくてもそのピアノで弾いてみたい、という思いを挫いてしまいますからね。

 

ストリートピアノは、家には楽器が無いとか、ずっと練習する機会に恵まれなかったけれど、やっと人前でも弾けるくらいになったとか、そうした人たちがもっと使えるようになると良いと思います。

 

 

 

そして、クラシック音楽をエンターテイメントやイベントに取り入れようとする人には、クラシックにしかない価値をもっと積極的に伝えてもらいたいと思います。

 

本当の価値が伝えられないまま、堅苦しく考えずに身近なところから入りましょうねといった導入により、誰もが知っているモーツァルトの曲などを聴かされてしまうのは、普段あまり関心を持っていない人には逆効果な気がします。

その時点で興味を失ってしまうことのほうが多いのではないでしょうか。

 

それよりも、圧倒的な技巧を駆使した演奏の凄さとか、曲の構成に秘められたメッセージの存在を示唆するとか、そうしたところから存在している価値の広がりや深さを感じてもらうのが良いと思います。

 

ラジオでもクラシック音楽に関する番組は少なくなってしまっています。

もう一度その価値の本質を深堀りして評価し、新たな情報とともに伝えられる機会が増えることを期待しています。