象は死に場所を選ぶため、死期が迫った象は自ら仲間たちが死んだ場所へと向かう。

そうして死んだ象の骨が集まる場所ができるため、そこは象牙の宝庫である。

 

そうした伝説は、実際には密猟ハンターによるほら話や観光客目当てのデマであったと言われています。

 

 

 

動物たちには、自らの死期が分かるのでしょうか。

 

 

 

昔、隣家で飼っていた猫が放し飼いにされていて、よく遊びに来ていました。

初めて会ったのは生まれて間もない小さな子猫の頃、よちよち近寄ってきたところを抱き上げて頬ずりしようとしたら、いきなり頬っぺたに思いきり噛みつかれて、そのまま離しませんでした。

 

実はかなり痛かったのですが、冷静を取り繕いながら、頭に浮かんでいたのはキツネリスのテトに噛み付かれたナウシカの姿です。

それは頬っぺたではなくて指なので、私のほうがかなり間抜けな状況なのですが、同じようなシチュエーションになぜか少し誇らしさを感じて、そのままじっと待ちました。

 

すると、子猫は噛み付いた口を離し、次の瞬間に自分が噛み付いた跡をペロペロ舐めてくれました。

ナウシカと同じ展開です!

これはきっと怯えていただけなのに違いありません。

 

その日から、私とその猫は親友になりました。

姿を見るといつも走ってやってきます。

こちらの言葉も気持ちも結構通じました。

 

そうやって10年も一緒に遊んで過ごしました。

 

 

 

 

でも、冬のある日、ウチに入りたがって鳴いていたのでしばらく入れてあげると、なかなか外に出ようとしませんでした。

いつもは抱き上げて外に出そうとすれば自分から出て行くのに、ニャア、と言って身をよじり何度も私の手から逃れようとしました。

 

それでも何とか外に出すと、暫くそこで景色を眺めていました。

目ヤニの多くなった目で、いつも一緒に眺めていた景色を、じっと見つめて。

 

それが、その猫を見た最後の姿でした。

 

数日後、二匹の若い猫がやってきて、窓の外からこちらに向かってニャアニャアと何かを訴えかけてきました。

初めて見る猫だったのですが、ガラスにピッタリ近寄ってしばらく家の中に向かって鳴き続けていたのです。

そして、その二匹のそれぞれにあの猫の特徴がありました。

 

その時には、気付かなかったのですが、二匹は知らせにやってきたのに違いありませんでした。

 

 

 

象の墓場。

それは、作られたデマかも知れません。

たまたま何かの理由で多くの象が同じ場所で死に、その骨が一箇所に集中した可能性もあります。

 

でも、動物たちはきっと、生と死について、私たちの想像よりも多くの何かを感じているに違いありません。