稲沢市と言えばの一つに鉄道というワードもある。
JR稲沢駅東側に稲沢操車場跡地がある。
1925年に操車場が開業し、1984年に廃止され、そのあとも数十年にわたり跡地として開発が行われず残っていた。
配線略図によれば様々な設備が備わっていたことがうかがえる。
現在その操車場跡地は住宅地や商業施設などになってしまった。
立派なマンションも何棟もそびえ立ち新たに陸橋もかけられ操車場のあった昭和の頃より賑やかでい線路を越えての行き来が向上したと言える。
現在では一部分が愛知機関区として使われているが、当時の規模から比べるとだいぶ縮小されている。
稲沢操車場には蒸気機関区というものがあり、そこには転車台と扇機関庫が2つも備わっていたそうだ。
それを今昔マップというサイトを利用して古い時代の上空からの写真から見てみることに。
その場所に当たる現在の地点付近の地図です。
最も古い物で1945年(昭和20年)~1950年(昭和25年)のものであるがこの当時もうすでに2つの扇機関庫が存在していたことが確認できる。
1960年代前半(昭和30年代後半)になると1つの扇機関庫は確認できるが、南側は転車台が残るのみで機関庫も線路もほとんど撤去されている。
このあたり頃から蒸気機関車の数が減ってきて電気やディーゼルに置き換えられてしまっていた頃だ。
更に70年代中期ごろになると、残っていた方の扇機関庫も姿を消し、転車台と一部線路が残ているように見える。
更に南側にあったはずの転車台は姿を消し去り、電気機関庫のような建物が建てられている。
完全に蒸気機関車が名古屋地区から姿を消してしまった証なのでしょう。
80年代前半の昭和50年代半ばの稲沢操車場最後の頃は前の写真の様子とさほど変わりないように見えます。
平成の初めごろの完全に操車場廃止されたときもまだ変化は見られないが、この後大規模な改修が行われて現在に至るのだ。
この跡地を利用して色々誘致しようとしていたらしいが、結果現在できたのはs住宅街マンションとショッピングセンターや体育館や公園などの施設だった。
この場所にドラゴンズの本拠地であるナゴヤドームの候補地の一つとしても挙げられていたが、現在の大曽根にある三菱重工の工場跡地に建設されたという事。
現在の上空からの様子を見ると操車場のあった形跡は稲沢駅より北側では全く感じられず、現在愛知機関区として一部利用されているのは、駅のあたりから南側清須駅手前あたりまでだ。
このあたりに南側にあった扇機関庫が存在していた場所だ。
この反対側には夢逢橋という陸橋が出来て東西の行き来がさらに便利になった。
このあたりに最後まで残っていた北側の転車台がこのあたりにあったのだが、どちらも存在してた場所は住宅が立ち並び何の面影もない。
そんなところが鉄道の町稲沢であった。
広大な敷地を誇っていた神奈川県の新鶴見と大阪府の吹田とならんで三大操車場と称されていたので跡地としてはごくわずかの紹介なので、いずれは北から南までの区間をよく見て紹介できればと思う。
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