前回はこちら

 

続いて地元の古くからある『ナメラ商店街』へ。

image

 

長曾我部さん『ナメラってどんな漢字書くか分かる人~~~?

 

私&ガイドさん二人「「「はーーーーいパー」」」

 

長曾我部さん「三木の人は手を挙げないで下さ~い」

 

我々「wwwwwww」
※因みに「滑原」と書きます

 

 

三木合戦で秀吉による干しごろし(兵糧攻め)にあった三木城址の麓にあります。

image

この看板が出来た時、地元の人間でも「美化しすぎではガーン」と顔に縦線が入りましたタラー

※この写真も後日撮影

 

商店街は残念ながらほぼシャッター街ショボーン

image

私が保育園児だった頃はまだ賑やかだったんだけどねえ(いつの話やねん)。

 

レトロな店舗が残されています。

image

 

image

※左端に写っている階段で三木城址に行けますが、今回は行程に含まれておらず

 

image

 

image

 

現在でも営業中の洋品店にタニシさんが来てそうな柄シャツ発見ニコニコ

image

 

続いてやって来たのは『みき歴史資料館』。

image

以前は三木市立図書館でしたが、新しく別の場所に図書館が移設されたので資料館として活用されています。

 

ここでは三木合戦の内容を記す『三木合戦軍図』を用いて説明して下さいます。

これを『絵解き』と言います。

 

因みにこの軍図はレプリカで、本物は法界寺に納められています。

image

絵は時系列毎に並んでいる訳ではないですが、描かれている場所の位置はほぼその通り。

 

地元人間の私でも三木合戦の内容は薄くしか知らなかったので、この機会に学び直す事が出来て良かったです。

 

中でも衝撃だったのは、干しごろしにより城に食べ物がなくなって来て、

犬や馬を食べたり、更には城の土壁に含まれている『藁』まで食べていたとの事ガーン

 

そんな悲惨な状態に、城主別所長治は24歳の若さで(23~26歳と諸説あり)切腹し、領民を守ります。

image

左上にその様子が描かれています。

その下に動物や壁の中の藁を食べている様子も……

 

なかなか残酷な描写がありのまま描かれているのでショックですが、こうして今の時代にも語り継がれているのはとても貴重な事ですよね。

 

こちらは資料館入口に飾られている甲冑前で切腹しているタニシさんアセアセ

image

 

因みに以下は後日撮影した三木城址。

image

入口には桜も咲いてました桜

 

image

 

image

 

image

忠魂碑。

 

image

 

別所長治公の辞世の句が彫られた石碑。

image

「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば 」

 

三木城址から見た景色照れ

image

 

眼下の美嚢川(みのうがわ)を渡る神戸電鉄の車両電車

最近撮り鉄化してきているなカメラ

 

続く