原爆を開発した物理学者の伝記映画です。

 オッペンハイマーが原爆を発明したわけではなく、原爆の実用化に成功したチームのリーダーです。
 オッペンハイマーは宇宙物理学の分野でブラックホールの研究をしていました。物理学といえばアインシュタインですが、量子物理学を研究していたオッペンハイマーにとってアインシュタインは前時代的でありながらも、明確に原爆の開発に反対していたことは大きな心のしこりになっていたかもしれません。

 ドイツの物理学者が核融合に成功し、連鎖反応で巨大なエネルギーを爆発させることを人類は知ることになります。原子力爆弾の着想はここから現実味を帯びます。

 SF映画の世界にはしばしばマッド・サイエンティストが登場しますが、現実世界において第一線にいる学者は倫理観を重視しています。
 クローンの開発も倫理上の理由で中止されていますし、遺伝子組み換えなども技術的には可能ですが、倫理が常に前に立ちはだかります。

 この倫理や良心といったことが否定されてしまうのが戦争です。

 物理学はわたしたちの住む世界、宇宙を知るための学問です。戦争によって殺人が肯定されると、そういった学問ですら人殺しの道具になってしまいます。
 ジブリ映画「風立ちぬ」が大空を愉しむ夢の乗り物が、有人爆弾として次々と消耗されてしまうことの残酷さを描いたように、本作も宇宙に夢を馳せていた物理学者がその生涯を悔恨の人生にしてしまう物語として描かれています。

 アメリカで「原爆の父」という肩書が使用されたのは、アメリカ人にとって原爆は日本を無条件降伏させ、さらに世界大戦を終結させた功績という社会認識があるためです。
 このことが被爆国である日本人に強い嫌悪感をもたらせ、アメリカ人の原爆賛美は日本ではセンシティブな問題となっています。

 本作の日本公開について微妙な空気が漂いつづけたのもそういった背景によるものですし、映画「バービー」を揶揄したブラックジョークが日本で大きく報道された理由です。

 本作は決して原爆や戦争を賛美する内容ではなく、むしろ核兵器に対する批判性を満ちていますが、それでも配給会社は慎重になっていたように思います。
 アメリカで公開されたのは2023年7月ですが、日本では数々の映画賞を受賞し始める2024年1月に公開が決定し、2024年3月のアカデミー賞で13部門にノミネートされ、作品賞や監督賞といった主要部門を含む7部門受賞という偉業を受けた直後の公開となりました。
 とはいえ3時間の大作ですから、公開回数は必ずしも多くはなく、興業収入はそこまではいかないかもしれません。

 マンハッタン計画で原爆の起爆実験を行うまでがクライマックスとなります。

 劇中でオッペンハイマーは桁違いの爆弾を開発することに躊躇しているように見えます。ところがユダヤ人である彼にとってヒトラーのユダヤ人虐殺と、科学技術では先端を走るドイツが先に原爆を開発してしまうのではないかという強迫観念のようなもに背中を押されてしまいます。

 まさに戦争が物理学を悪用させたといえます。

 日本への原爆投下シーンがないといった批判があるようですが、本作には必要がないと思います。
 クライマックスはあくまで原爆の完成であり、その爆発シーンの表現はSF映画で繰り返し描かれた巨大なキノコ雲ではなく、まるで人類を焼き尽くす地獄の業火のように恐怖を増長させる演出になっていました。
 また、気になったのはこの実験で被爆者はいなかったのか、さらには放射能汚染についての認識はどの程度であったのかが判然としませんでした。
 実際は、放射能についての知見はあり、爆破後のクレーターに汚染土壌の採取にいった関係者は重装備にも関わらず被爆したと記録されています。
 さらに実験場近隣の住民には、因果関係の立証にまでは至らないまでも発がん率が高いことも報告されているようです。

 そして実験の成功から1ヶ月足らずで実践投入となり、日本で2回使用されます。

 開発から投下までの間にパンプキンと呼ばれる原爆の模擬爆弾が日本各地に投下され、空爆試験が行われていたのですが、歴史上あまり注目されることはありません。

 かくして太平洋戦争が終結し、第二次世界大戦も収束し戦後を迎えることになります。オッペンハイマーは一転、反原水爆の立場をとるようになり、トルーマン大統領にも直談判をし、広島、長崎での惨状を伝えるネガティブ・キャンペーンを各地で積極的に行うようになります。

 当時のアメリカ政府にとっては士気を下げる存在になってしまったために、配偶者が共産党員であったことや、自身も集会に参加したことがあることを理由にスパイ容疑がかけられ、以降は公職も失い、FBIの監視下に置かれるようになります。

 容疑だけでスパイ活動の証拠などは一切ないため、海外旅行などは可能だったようで、晩年には来日もしています。
 1965年に62歳で逝去しますが、死因となる喉頭がんが職務と関係しているかについては勘繰り過ぎでしょうか。

 個人的には最初から一貫して反原爆の姿勢をとったアインシュタインは格好良いですが、オッペンハイマーの残りの人生はまさに対極的であったといえます。

 戦争は人類にとって愚行です。

 従って、それを繰り返さないことが進化といえます。本作は戦争に対する「悔恨」を描くことが目的であり、ウクライナなどの世界情勢を背景にした2023年に公開されたことも大きな意味をもって観客に受けとめられたのだと思います。

 日本人は本作をどう見るかみたいな投げかけも見かけますが、本作は反戦映画です。しかも勝者側の後悔を描くことで表現した反戦映画ということでいえば画期的な作品ともいえます。

 戦争は勝っても犠牲を伴うもの、暴力を使用することでどのような正論も正義ではなくなるという人間社会における根源的なことを描いて成功した作品ではないでしょうか。

 物理学をエンタメ化することに長けたクリストファー・ノーラン監督が今後もエンタメ映画を製作する上で必要な通過点だったのかもしれません。