実在の悪魔祓い師(エクソシスト)の手記を原作とした、悪魔版ほんとうにあった話ものです。

 神様がいるのであれば、その反作用的立場の悪魔もいるというのは至って直截的な発想ですが、日本は自然崇拝を起源にしているためか、神様に対抗する存在や概念がありません。
 日本の神様は疫病や自然災害といった現実的な厄災から人々を守る存在で、マイナスの存在ですら貧乏神や死神のような八百万の神に属しています。

 悪魔に似た概念でいうと、日本には古来より「鬼」という人外がありますが、神や神の力が鬼を退治するといった発想にはなりません。

 この信仰の概念の違いは、欧米のキリスト教ものを受け取る際に大きな影響を及ぼしているように思います。
 昨今はマーベル・ヒーローの影響でギリシャ神話の神々がコスチューム・ヒーローになってしまったので、なおのことキリスト教的な神への信仰は現実的な感覚を持ちづらくなっているように思います。

 キリスト教における神と悪魔の対決は、アメコミ・ヒーローのように神が悪魔と衝突するわけではありません。

 悪魔は元来、信仰の象徴です。

 つまり神を信じるか、神に背を向け悪魔に身を売るかということにあります。

 魔が差すという言葉がありますが、悪魔とは誘惑であり、疑心であり、人間のもつ弱さの象徴で、おそらく古代キリスト教においても背信とイコールだったのではないかと思います。宗教画の題材に多くとられた「聖アントニウスの誘惑」などはまさにそれを描写したものです。
 また、悪魔信仰のようなものもあり、アンチ・キリストはいつの時代にも一定数の支持を得ています。

 一方で非キリスト文化圏の土着信仰には精霊や吸血鬼のような人外の存在が創造されていて、これらと悪魔の概念が結びついて、悪魔は姿をもつようになったのではないでしょうか。

 21世紀になり医学の進歩も目覚ましいですが、それでも脳についてはまだまだ未知な部分が多く、認知症も精神疾患もそのメカニズムの解明は途上あります。

 本作は現代劇なので、アメリカの社会といえども悪魔憑きのような現象は精神疾患であり、教会関係者ですら悪魔の実存を信じていない世界なのですが、当然のこと作品は悪魔ありきで展開していきます。

 日本にも陰陽師や霊媒師が活躍するヒーロー譚がありますが、呪術や武器で戦闘するのに対して、エクソシストは悪魔と対話をして、そそのかしたり説得するという方法論がやや地味に感じます。
 やはり吸血鬼もののように悪魔がいる架空の世界で、ヒーロー神父が次々に悪魔を打倒するような作品の方がエンタメ性は高いのかなと思います。

 作品の終盤で、悪魔はあと199体いることが示され、ガブリエーレ神父とトマース神父のバディで悪魔対峙の旅に出るようなことが示唆され、続編の制作も発表されているようです。
 とはいえ、フランチャイズにするとして、あちらこちらで悪魔に憑りつかれたひとを救って回るのは良いとして、おなじことの繰り返しでも面白くないわけですから、どのような拡張が可能なかのか興味はあります。