プロレスラー、アントニオ猪木のドキュメンタリーです。

 2023年10月21日に池袋の東武百貨店に鈴木英人の絵画展を見に行ったところおなじフロアに本作のポップアップショップがあって、トークイベントに来場していた藤原喜明を見かけました。なぜ猪木の写真展をやっているのかなと覗いてみて、本作の公開を知りました。

 私の世代では小学生高学年頃に初代タイガーマスクが旋風を巻き起こしていて、テレビ朝日の金曜20時に放送されていた「ワールドプロレスリング」を毎週見るようになりますが、アントニオ猪木はすでに別格のトップスターでした。1980年代初頭の頃です。

 初代タイガーマスクが引退する頃には前田明などが人気を博すようになり次世代への注目が高まる中、IWGPを企画し、その第1回大会の決勝戦でハルク・ホーガンにKO負けしたのは有名なエピソードです。
 外国人レスラーの活躍は力道山の時代からですが、1972年に旗揚げした「新日本プロレス」でも数々の外国人スターレスラーが輩出され、お茶の間の人気になっていました。
 第1回IWGPでホーガンと対戦し、1998年の東京ドームでの引退試合でもドン・フライという外国人レスラーと対戦したことは、まさに日本のプロレスを最後まで体現していたといえます。
 ちなみに1998年当時の私は社会人でしたので、知り合いのツテもあったことから、東京ドームで30,000円のリングサイド・チケットを購入して観戦しました。

 本作はプロレス・ファンからはあまり高い評価を得ませんでしたが、世代によって評価が分かれた印象です。
 猪木の現役時代を知らないプロレスファンであれば、現役レスラーや著名人が証言する猪木体験と、業績のダイジェストに対してそこまで物足りなさはないと思います。
 ですが、現役を知っている世代にとっては、アントニオ猪木というカリスマの多面性を描き切れていないように感じてしまいます。

 なにかと批判の的となったのがドラマパートです。

 1980年代にプロレスに夢中になる子供たち、社会で挫折しかけている大人たちといったいわゆる猪木信者が、1987年のベイダー戦に猪木の不屈の精神を見て自身を奮い立たせるといった内容です。
 そもそも「アントニオ猪木をさがして」というタイトルなので、猪木に肉薄するというよりは客観視する主旨だったのではないでしょうか。タイトルの元ネタは2003年公開のドキュメンタリー映画「デブラ・ウィンガーを探して」です。自身の生き方に迷ったロザンナ・アークエットが34人の女優と対話をする内容です。
 猪木は恰好イイだけではなく、その姿を自身の生き様にどう反映させるかを作品の軸にしたかったのではないでしょうか。

 猪木伝としての物足りなさはそこにあるのだと思います。

 猪木自身の業績よりも、証言者たちの「今」に比重が置かれているためです。その意味では証言者の多くはファンなので、猪木の人間性には肉薄しません。
 猪木のそばで猪木という人間を見ていたのは、付き人経験のある藤原喜明とカメラマンとしてイラクにも同行した原悦生くらいですが、あまり掘り下げられていません。

 その意味では、ドラマパートも架空の人物ではなく、猪木によって人生を変えられたレスラーなどのエピソードを再現した方が説得力はあったように思いますし、猪木伝も散漫なダイジェストではなく、異種格闘技、新日本プロレス旗揚げ、もしくはIWGPなどクライマックスを明確に設定して、そこへ向けて展開される方がエンタメ度は高くなったように感じます。

 個人的には1990年の東京ドームでの「スーパーファイト IN 闘強導夢」で闘魂三銃士と対峙し、初の「イチ、ニィ、サン、ダーッ」を披露した試合が昭和プロレスから平成プロレスの橋渡しであり、1998年の引退試合で20世紀という時代が終焉したような構成がクライマックスに相応しかったように思います。

 引退後も格闘技ブームに乗って「UFO」「PRIDE」「INOKI BOM-BA-YE」といった団体や興行を行い、大晦日興行や年越しの闘魂注入ビンタ、また政治家としての清濁併せ吞むようなリング外活動がサイドストーリーのように挿入され、関係者の証言と猪木自身のコメントで見せるのが常套ですが、本作においては、実はドラマパートこそがやりたかったことなのかなと思います。