立川志の輔の新作落語「伊能忠敬物語 -大河への道-」の映画化作品です。

 志の輔落語が映画化されるのは2008年公開の「歓喜の歌」につづく2作目です。新作落語の映像化というと桂文枝が三枝時代に創作落語の「ゴルフ夜明け前」が吉本芸人オールスター映画として1987年に製作されています。新作を作っている落語家は多く、講談と合わせると毎年、相当数の新作が高座に掛けられていますが、そもそもひとりで複数人を演じる落語の演目はあまり映画向きではないかもしれません。群像劇を表現するのには演目の構成力はもちろん、高度な表現力が求められるからです。また、ワンシチュエーションは観客もイメージし易いですが、場面が目まぐるしく変わったり、本作のように現代と過去を行き来するとなると、さらにまた難易度が高くなります。

 2000年頃はまだチケットが取れましたが、現在の志の輔の独演会はチケットを確保するのが大変で、すっかり足が遠退いてしまいました。
「歓喜の歌」や舞台演劇化された「メルシーひな祭り」「ディアファミリー」「踊るファックス」「ガラガラ」といった初期新作はPARCOでのネタ卸しを見ていますが、本作の原作演目は未見のままです。

 伊能忠敬というと、16年かけて全日本の沿岸を測量し、1821年に36,000分の1縮図の緻密な日本地図「大日本沿海輿地全図」を作成した偉人として知られる人物です。
 日本列島の全長はざっくり3,300Kmとされていますので、これの36,000分の1となると90メートルくらいある巨大地図を214枚の紙(畳一畳サイズ)を貼り合わせて作図しました。
 現在は人工衛星からのデータなどでかなり詳細な測量が可能ですが、その技術と比べても誤差がほとんどないという高度な地図作成技術は西洋の列強国にも大きなインパクトを与えたといわれています。

 伊能忠敬は現在の千葉県出身で、酒造などの商いをしていましたが、隠居後に江戸へ行き、天文学を学ぶようになります。この時の伊能は50歳、師匠となる高橋至時は31歳でした。伊能は天文学を学び地球のサイズを知りたかったとされています。
 この頃の日本は海外からの脅威を意識するようになっていて、湾岸警備の観点から沿岸の地形を掌握することが重要事項になっていました。そこで湾岸図面の作成を企図し、ここに伊能忠敬は参加することになります。

 本作は伊能忠敬の出身地である千葉県香取市の役場職員が、村おこしの一環として、伊能忠敬を大河ドラマにようとNHKを誘致することから始まります。
 実際、各地方では地元の英雄を大河ドラマに推薦する活動が行われています。

 中井貴一演じる職員がベテランの脚本家に依頼をしたところ、脚本家から「伊能忠敬は大河ドラマにならない」と断言されてしまいます。
「大日本沿海輿地全図」は伊能忠敬が逝去した3年後に完成していて、直前の測量も当然のことながら参加していないことから、天文学の師匠である高橋至時の息子、高橋景保が伊能の意志を継いで完成させたものであるというもので、ここから時代は江戸に変わり、中井貴一ら全キャストが二役で高橋景保の物語になります。

 伊能忠敬の逝去を幕府に隠蔽したまま「大日本沿海輿地全図」を完成させる物語がサスペンスフルに描かれます。

 本作は志の輔の落語に感銘を受けた中井貴一が映画化を発起し、朝ドラの「ごちそうさん」、大河ドラマの「おんな城主 直虎」や人気テレビシリーズの「義母と娘のブルース」で知られる森下佳子に脚本を依頼します。
 最初こそ「伊能忠敬は大河ドラマにならない」というモチーフに難色を示していましたが、大御所脚本家が渋るという設定を導入しながら、60回近い改稿を重ねて完成させた脚本のクオリティがとても高いです。
 伊能忠敬は一切出て来ないのに、クライマックスでは伊能忠敬の偉業に胸が熱くなります。
 コツコツと積み重ねる根気と、人間業とは思えない程の緻密さを追求する集中力によって達成された偉業に圧倒されます。
 井上ひさしは長編小説「四千万歩の男」で伊能忠敬を描き、隠居後の第二の人生をあり方を提起しました。隠居後の偉業というと伊能より100年程遡りますが、画家の伊藤若冲も想起します。

「大日本沿海輿地全図」はそのサイズから実用性に欠くため、2種類の縮尺図が作成され大正頃まで使用されたそうです。原図の多くは焼失していますが、本作の主人公である高橋景保は、かのシーボルトにこの縮図を譲渡していたことから、シーボルト事件へと発展し、最後は獄中死を遂げます。本作では将軍に対しての偽証罪が追及されますが、最終的には国家反逆罪のような罪に問われてしまうわけですから、本作と後日談の直結感も感慨深いものがあります。

 ちなみに人類史における地図の発展はどのようなものかと気になります。

 世界最古の地図となると紀元前700年くらいに粘土板で製作されたバビロニアの地図ということらしいのですが、これは概念の確立といったところと思います。
 15世紀末にはドイツで地球儀が発明され、海外においては世界地図が求められていたようです。確かに大陸の国は境界線での分割でもって国を形作っているので、日本のように列島の形状把握という用途はあまり重要ではなかったのかもしれません。
 現代人にとってもっとも利用されている地図はカーナビやそれを転用したスマホのアプリと思いますが、カーナビの概念は海外で発明されたものの、一般の生活に実装したのは日本の企業でした。
 伊能忠敬の緻密な地図を作成するという「大日本沿海輿地全図」のコンセプトは、現代のナビ・システムに受け継がれているのかもしれません。