1920年代のハリウッドで、サイレント映画のスター俳優たちがトーキー映画に馴染めず破滅していく物語です。

 2023年は全米脚本家組合の大規模なストライキが半年近く行われました。2007年に行われた際の事由はソフトパッケージなどの二次利用の際のギャラの問題でした。それまで映画は映画館で見るもので、二次利用というとリバイバル上映かテレビ放映くらいでしたが、VHSビデオからDVD、ブルーレイとメディアが充実したことで、家庭で映画を見る習慣が定着したことによるものです。
 2023年は、AIに仕事が奪われるというSFのような内容でした。テストケースですが、AIに企画書を作成させたところ、それなりの品質だったことから、脚本家が仕事を奪われるというもので、これに俳優協会も追随しました。エキストラをAIによるCGで作成することで映画会社は大幅なコストダウンが計れる為です。
 メジャー系の映画製作が停滞したことで来年の上映作品のラインナップも大きく変更されることになりました。
 5ヶ月程過ぎたところで、賃金アップということで決着したことはいかにもアメリカ的に感じます。映画製作にAIを使用するという論点についてはうやむやになったのではないでしょうか。

 ちなみにAIのシナリオ作成がどれ程のものか原稿を見たことはありませんが、日本国内でいえば昨今の都市型怪談は、現象も落ちもパターンがある程度決まっているように思うので、AIに新作怪談を作らせたら、それなりのものが出来るのではないかと思ったりもします。

 映画史において、大きな変革が時々もたらされます。

 動画を最初に開発したのは、かのトーマス・エジソンです。これは「キネトスコープ」という箱を覗くタイプのもので、映画よりもVRゴーグルのような印象です。18世紀末に登場した「キネトスコープ」に感激したフランスのリュミエール兄弟が動画の投影機「シネマトグラフ」を開発して、1900年のパリ万博で上映会をしたのは有名なエピソードです。ちなみにリュミエール兄弟は1907年には「オートクローム」というカラー写真の開発に成功しているので、いずれはカラー動画も視野に入れていたのではないでしょうか。

「シネマトグラフ」の特許はリュミエール兄弟の手を離れ、映画の商業利用が本格化していきます。動画は人間の目の残像効果を利用したもので、残像が維持されるのがおよそ16コマであったことから、動いて見える最低限として毎秒16コマが映画フィルムの規格となりました。

 この頃は当然、動画のみなのでいわゆる無音の無声映画が多く作られます。チャップリンが渡米して映画製作を始めるのが1914年で、多くは1リールものです。1リールの分数はメーカーによって統一されていませんが、15分前後が一般的かもしれません。1918年の「犬の生活」は3リールの33分もの、1921年の「キッド」は6リールで68分となり、かなりしっかりしたドラマが描かれるようになり、チャップリン作品ではフィルム合成や逆回転といった特殊効果も行われていました。

 それまでエンタメの中心は舞台で、人気の小説などはすぐに舞台化されていました。歌やダンスといったショーも数多く上演され、ミュージカル演劇も生まれていましたが、やがてエンタメの王様が舞台演劇から映画へとシフトしていきます。

 そして1927年公開の「ジャズ・シンガー」が映画に大変革をもたらします。フィルムとレコードを同期させて動画に音が付随しました。音の出る映画、トーキーの登場です。
 最初は映画に併せてレコードを鳴らしていましたが、やがてフィルムに録音できるようになりますが、この時に音質を安定させるために映画フィルムの規格が毎秒24コマに変更されたそうです。音質向上のためですが、結果的に1秒あたりのコマ数が増えたことで画質も向上し、21世紀もフィルム映画はこの規格で製作されています。
 ちなみに音声によるセリフがないから映画は言葉の壁がなく世界中で楽しめるとサイレントにこだわっていたチャップリンもトーキー映画「街の灯」を1931年に公開しました。とはいえセリフは一切なく、チャップリンのデタラメ語による歌と、チャップリン自作の音楽が全編に流れるというものでした。

 1935年には初のカラー映画「虚栄の市」が公開され、これ以降はサイレント映画はもちろんモノクロ映画の制作も徐々に減っていきます。
 特撮映画の特殊効果はSFXと呼ばれ、1970年代から1980年代にかけて大きく発達し、1990年代になるとCGが使われるようになります。新しい技術が開発されると、以前の技術は廃れていくのが映画史といえます。
 21世紀になるとデジタル撮影が主流となり、日本国内においては東京現像所と東映ラボ・テックが2023年にフィルム現像業務を終了しました。
 映画史的な次の技術革新が前述のAIの導入ということになるのではないでしょうか。

「バビロン」で描かれたサイレントからトーキーへのシフトは、映画史に最初に訪れた変革といえます。
 セリフで説明できないので、ボディランゲージが重要になり、サイレント時代の俳優たちはパントマイムの技能が求められました。元々、舞台でパントマイムを行っていたチャップリンが瞬く間にスターになったのは舞台から映画に軸足が変わったことで、観客が何千倍にも増えたからともいえます。
 映画スターのジャックは舞台女優から、映画俳優の演技なんて大仰なだけと批判されます。ネリーは度胸の良さと天賦の才で瞬く間に端役から人気女優になります。
 ところがトーキーの時代になり、セリフを覚えて発声することを求められ挫折します。

 1流のパントマイマーが1流の俳優になれるとは限りません。日本でもサイレント時代の大スターの阪東妻三郎が自身の甲高い声が、それまで顔とアクションだけ見ていた観客にとってギャップとなってしまったというのは有名なエピソードです。

 2011年公開のフランス映画「アーティスト」もまったくおなじテーマの作品でした。サイレント映画のスターの凋落をモノクロのサイレント映画(厳密には音楽付き)で表現してアカデミー賞の作品賞をはじめ主要5部門を受賞した傑作です。
 ピストル自殺を図ろうとする主人公を犬が止めるシーンは滑稽かつも涙を誘う名シーンなのですが、本作ではこれを意識したのかジャックは自害してしまいます。さらにネリーも路頭に迷った末に絶命してしまいデイミアン・チャゼル監督の「ラ・ラ・ランド」よりも悲劇的な展開となります。

 1952年にもおなじテーマを描いた大傑作「雨に唄えば」があります。こちらはミュージカル大全集的な作品で、アーサー・フリード&ナシオ・ハーブ・ブラウンによる既存のミュージカル曲で製作されたので実は「雨に唄えば」もカバー・バージョンですが、サイレントからトーキーへの移り変わりを描きつつ、ミュージカル映画というトーキーの王道のスタイルのため、スターの凋落というよりも世代交代を前向きに描いた明るい映画です。

 本作には「雨に唄えば」からの引用が多く、ある意味リメイク的ともいえます。メキシコに逃亡した主人公が20年ぶりにハリウッドに訪れ立ち寄った映画館で「雨に唄えば」を見るという感傷的なシーンで幕を閉じます。

 過去作へのリスペクトやここ何年かに激変していく映画産業の暗喩として「雨に唄えば」のリスペクト映画を作ったのかもしれません。だとすると、デイミアン・チャゼル監督の主張はシナリオとは別のところにあるようにも思いますが、それを汲み取れる作品に昇華されていなかったと思います。

 原因はマーゴット・ロビーの熱演が素晴らしすぎたからかもしれません。

 あまりにインパクトが強いため、本作は彼女の演じるネリーの半生記として見てしまうため、「雨に唄えば」のようなシンプルな三角関係にもならず、破滅するカップルとするには他の要素が多すぎるといういささか散漫な印象が残りました。