柳生の里は、奈良市の北東部の京都と隣接する山間にある。柳生の里は、江戸時代に将軍家剣術指南役として天下に権勢をふるった柳生新陰流とその創始者である柳生家の故郷であり、藩主として治めた一万石の地である。柳生の里には、旧柳生藩陣屋跡、旧柳生藩家老屋敷、菩提寺などの柳生一族にまつわる史跡が残っている。
所在地 : 奈良県奈良市柳生町
十兵衛杉
高さ30m余の枯れた一本杉。柳生十兵衛三厳が、幕府の内命により西国大名の動静を調べるための旅に出る際、先祖の墓を参った時に、植えられた杉と言われている。
樹齢約350年を経て、落雷のために枯れている。
旧柳生藩家老屋敷
小山田家分家(非公開)
摩利支天の石のレリーフ(平成十九年に復元)
柳生宗冬が柳生藩大名となり、徳川家綱の兵法指南役になり、柳生八坂神社を造成し石の鳥居を寄進し、その横の丘に武道の守り神である摩利支天を祀った。ここの摩利支天山に、当初、祠があった。
柳生八坂神社
旧柳生藩陣屋跡への入口
旧柳生藩陣屋跡
柳生宗矩が築いた正木坂の陣屋跡。建物は延享四年(1747年)に全焼した。
現在は、史跡公園として整備されている。
芳徳寺
芳徳寺柳生家の墓
柳生の里近くのコスモス畑