芳徳寺(ほうとくじ)は、寛永十五年(1638年)に柳生但馬守宗矩が、亡父・石舟斎宗厳の供養のために創建したもので、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚で、後に柳生氏代々の菩提所となったもので、正式には神護山芳徳禅寺という。

宗矩の死後、正保四年(1647年)に、将軍・徳川家光の内意により、小柳生村の内の200石を寺領として付与された。また、宗矩の末子が仏門に入り、列堂和尚義仙として当山の第一世となった。宝永八年(1711年)の大火で焼失したが、正徳四年(1714年)に再建され現在に至っている。

 

   宗 派 : 臨済宗大徳寺派

   御本尊 : 釈迦如来

   所在地 : 奈良県奈良市柳生下町445

 

 

石舟斎塁城址の碑

 

 

山門

 

 

 

本堂

 

本堂

芳徳寺は、徳川将軍家に新陰流(しんかげりゅう)の剣術を教えた柳生家の菩提寺。

 

 

資料館

本堂(方丈)への入口

 

本堂内

 

釈迦三尊像、柳生宗矩公木造、列堂和尚木像、沢庵禅師木像を安置している。

 

 

 

歴代和尚の墓所

 

柳生家墓所への参道

 

 

芳徳寺柳生家墓所

芳徳寺の裏山の松林の中に、柳生家一族の墓所がある。柳生家は、徳川幕府の兵法指南をした1万石の大名である。柳生宗矩の墓石を中心にし、石舟斎、十兵衛、宗冬などの86基の墓石が整然と並んでいる。(当初は、十兵衛杉のそばにあった中宮寺の墓所を移したと言われている。)

 

 

真中が柳生宗矩、右が三厳(十兵衛)、左が宗冬の墓。

 

柳生三代の墓

左から、宗冬、宗矩、三厳(十兵衛)

 

右から二番目が宗厳(石舟斎)の墓石

 

宗矩の墓石

 

 

 

芳徳寺の剣聖発祥地「本尊世尊」の御朱印