オーストラリアの思い出。の巻 | 人生空回劇場

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一生懸命耕して種を植え続けてるつもり。

コツコツ水をやって気ぃ使って日に当てたり。



だけどなかなか実を結ばない私の人生。 嗚呼、空回り。



とは言え、人生、本音と建前 紙一重。  あんまり難しく考えずにいきましょ。

まるで何か特別な思い出でもあるかの様なタイトルだけど、ホントは行った事ない。(笑)

ただ、オーストラリアって聞くと頭に浮かぶ二つの事。 あまり良くないのと普通のがあるんだけど、今日は普通の方のお話。


私が昔働いていた会社は東京にレストランやスイーツのショップ等を何店舗も持つ会社だったの。 

ケーキ工場や焼き菓子・パン工場まであるその会社は、ある時期までは結構オッサレ~で有名なお店だったみたい。 その中で私は都内の何店舗もアチコチ行かされて、それはそれで楽しんでたんだけどそのお陰で名前が売れてしまった。 社長に特別可愛がって貰ってたというのも追い風だったとは思うんだけど、会社の中では新人なのに「○○店のぶぅ」って少し有名になってしまった。 で新しい大人に会う度に「ああ、お前が“ぶぅ”か、頑張れよ」なんて声を掛けて貰えたりして少し浮かれてたのも事実かな。


入社したての会社って(当たり前だけど)年上の人が多いから、背伸びして頑張る必要がないってのがとっても嬉しかった。 媚てるつもりは無かったけど、子供の頃から「自分でちゃんとしないと叱られる」って意識の中で生きて来たから、頼ったり弱いトコを見せる事に抵抗を感じなくて良いんだよ、って言ってくれる周りの大人達の態度や言葉が本当に嬉しくて、だらしない事にならない様に気をつけながらもしっかり甘えた。

仕事はきっちりやってたから、そんな私をおっさん達は好意的に見てくれて評価もして貰えて本当に会社中の人に良くしてもらった、うん。


その頃の私は張ってた肩肘から力を抜く事をやっと覚えて、楽しい!って素直に笑う事が出来る様になってた。 「世の中って心の底から悪い人なんてホントはいないんだね」なんて純真無垢に思ってて彼氏はいないしつまらない悩み事で必死になってた事もあったけど、本当に幸せな日々だったと思う。


でも少し前の私は違ったの。

「誰でも人は心のどこかに分解出来てない毒を溜めてるから」っていつも心の中で思ってた子だったから。 私の事を好きになる人なんかいるわけないでしょ、って思ってたから。

そんな気持ちを抱えて生きてた私だったから、会社に入ってからの私は人生が真逆に変わる程の精神状態を過ごしていたのよね。

勿論ソコには色んな人との出会いがあって目を覚ましてくれた出会いや言葉がたくさんあって、ホントに周りの人のお陰で私は変われたのよね。 本気でそう思えてたから純粋に人を信じる生き方を送れてたんだと思う。


「捨てる神あれば拾う神あり」って言うじゃない?

捨てやがるのに何で神なんだろって思ってたけど、次にどんな良い人(神)に拾って貰えるかちゃんと分かってて敢えて捨てるんだから、そうか、、、やっぱり神なんだな、なんて思ったりもした。

だから、今までの捨て鉢な人生も今こういう感動を数倍喜びに感じる為の布石だったんだ!なんて思って。

(ま、基本的にこういう考え方を今でもする私だけれども。)



だけど、世の中そんなに甘くない。

私を良く思わない人・・・ってか嫌う人間がいた。猛烈に嫌悪して「いなくなればいい!」位まで思ってたと思う。


だけど、幸せボケしてた私は笑顔の下に隠れた悪意を全く感じ取る事が出来ずに皆が良い人だと信じてて、漠然と「万人が私を好きだなんて事はありえない」と分かってはいても実感が伴わない程満足した毎日だったその時、急に牙むき出しの悪意をぶつけられた。

少し前の私だったらあんなの何て事なかったと思う。 

何をされてもどんな嫌がらせをされても「だから何?」って冷たい目でやり過ごしてたと思う。


だけど、その頃の私にはもう無理だった。 

処理出来なくなって、気持ちがいっぱいいっぱいで、どうしたら良いか分からなくなってしまった。

自分から笑顔が消えていくのがはっきり分かったし、そんなアカラサマな自分の変化に驚いてもいて更に焦った。


そんな時、ケーキ工場で働くS君って子がいた。 高校を辞めて働いていた同い年の彼とは何故か気が合って良く彼女の馬鹿馬鹿しい惚気(笑)とかに付き合ってたんだけど、職人としては頭一つ周りから抜き出ていたらしく、工場の中でも少し融通が利く立場にいたらしい。


ある日彼から電話があって夜中寮の外に出てみると、彼が外にいた。

どうしたのと聞くと、ケーキを作って来たから良かったら食べてとケーキ箱を差し出してきた。 なんで?って聞いたら、甘いもの食べると嬉しくならない?って。


そこでやっと気づいたのね。元気のない私に差し入れしてくれたんだって。

工場では店舗からの発注以外のケーキは作らないから、仕事が終わった後にこっそり材料くすねて(笑)作ってくれたんだ。


バレたら俺やばいから一人で食えよ(笑)、って言って私にくれたそのチョコレートケーキは“エアーズロック”という名前の私が一番好きなケーキだったの。


無知な私はそれがオーストラリアにある大きな一枚岩だってのは後で知った事だったんだけど、その夜泣きながらあのケーキ食べたなぁ。


あの涙は今思うと、ホントに嬉しいって時の涙だった様な気がする。


会社を辞めてアメリカに来てしまった後、その会社は倒産してなくちゃったのね。

あの頃可愛がってくれた人たちの行方を私は殆ど知らない。 唯一この間東京に行った時に社長には挨拶に行ったけど、他の人達は。。。

S君は、、、ドコかのケーキ屋さんとかで働いてるかな、きっと。


あの時ちゃんとお礼言えてなかったけど、、、


ありがとね、あの時の私は君のあのほろ苦いエアーズロックに救われたよ。

今でも良い思い出です。




あ、オーストラリアの思い出というよりか、

甘ちゃんな私の手痛くほろ苦い思い出、って話だったね。