ライズ・オクトーバー・ライズ  [54] | Kのガレージ

Kのガレージ

“書く”ということを続けていたい。
生きたという“あかし”を残したい。

「みんなは……って、美咲さんは、出ないんですか?」郷土芸能祭にはダンス部全員で出るものだと思っていたタケルが、慌てて聞き返した。

「うん、うちらは今日でおしまい」美咲が淀みなく言った。

「明日から受験勉強一本かぁー!」慎太郎が両手を後頭部に当ててのけぞった。

「みんな頑張ってね。郷土芸能祭に出れるのって、数年に一回とかだから、楽しんで」綾香はようやく涙が止まり始めていた。

「高校生と有志の人たちで今回は出る、って賢三さんが言ってたよ」美咲はジャージを羽織ってジッパーを閉めた。OCTOBER RISEの真っ赤な文字が見えなくなった。「保存会の活動は、これからはタケルがリーダーだから。タケルがみんなを引っ張ってくんだよ。賢三さんも有志の人たちも、それが一番いいって言ってるから。頑張ってね!」

 しばらく呆然としながら美咲を見つめたタケルの脳裏に、初めて出会ったときの美咲の顔が頭に浮かんだ。スポーティーで、健康的で、快活な女子高生。目の前の美咲は、そのイメージのまま変わらない。

 ——こういう人が——。

 リーダーにはふさわしいと思う。自分はリーダーをやるようなタイプじゃない。夏の森若太鼓行列に限って言えば、確かに太鼓のリーダーとして先頭に立って踊ったけれど、日常的に保存会の中心になって、小中学生やみんなをまとめられるようなタイプじゃない。ましてや、県の郷土芸能祭という大きな舞台に向けて、みんなを引っ張って行くなんてことは……。

 

「リーダーっつってもさ、いろいろなんだから。お前はお前らしくやればいいんだよ」

 最後の円陣で言っていた通り、慎太郎は本当に月曜日の昼休みのピロティで踊っていた。もしいたら相談してみようかな、それぐらいのつもりで立ち寄ってみたら本当に慎太郎がいたから、タケルは嬉しくなって、思っていたことを打ち明けてみた。

「お前はお前。美咲は美咲。タイプだってキャラだって全然違うんだから、美咲みたいになる必要はないよ。お前はお前のやり方でいいんだよ」

「僕のやり方……ですか?」

「わからないんだろ?」

「えっ……はい」

「いいんだよ、それで。わからなくていいんだよ。まだやったことないんだから。やればわかるさ。やりながらわかっていけば、それでいいんだよ」

「そうですか……」

 ——結構適当なところ、あるよな。

 そう思いながらも、タケルはホッとしたように微笑んだ。

 

「えー……どうも、すんませんすた」

「あたしらに謝ってどうすんのよ!美咲さんたちに謝んなさいよ!」

「そうよ!あんたのせいで最後の大会、台無しになったんだから!」

 ビンタこそしなかったけれど、学校にも部活にも復帰した哲太に、舞もすずも容赦はなかった。至近距離まで詰め寄って罵詈雑言の数々を浴びせかけた。

「えー、っつうごどで、部長の舞、副部長のすず、この体制でスタートするごどになったんでな。よろすぐー」ピロティに置いてあったパイプ椅子に背中を預けて、椅子を前後にゆらゆらと揺らしながら、泰造がゆるりとダンス部の新体制を発表した。

「まあ、謹慎食らっちゃったぐらいだから、さすがに部長とか無理だよな……」

「でも安心したよ。もう戻ってこないかも……ぐらいに思ってたから、僕」

 今週末の土曜日に開催される郷土芸能祭に向けて、賢三の保存会の練習会は今日から毎晩行われる。それを踏まえた短縮メニューでスタートした新体制での部活を終えて、タケルと祐輔は自転車で公民館を目指していた。

 すっかり日が暮れた晩秋の森若は、確実に冬の足音がしている。空気の冷たさも、風の匂いも、冬のそれにどんどん近付いていっている。タケルは学ランにマフラーと手袋、祐輔はネックウォーマーに手袋という格好だ。北風が追い風になって、タケルも祐輔もいつもよりペダルを漕ぐのが楽に感じた。

「部活に戻ってきたのはいいけど……」祐輔は学ランの下に丈の長いトレーナーを着ていて、その袖が学ランの袖からはみ出している。「郷土芸能祭には……ま、出るわけないか」

「そうだね……前にね、郷土芸能祭に出るんだろ、頑張れよ、って言ってたんだ、哲太さん。まるで他人事みたいに」それ以前に賢三が認めないだろう、タケルはそう思った。

 ——それでも……。

 郷土芸能祭という大きな舞台に自分の孫が出たら、きっと嬉しいんじゃないだろうか。そんな気もわずかながらにしている。そしてそれは淡い期待となって、タケルの胸の内で小さな蝋燭のように灯っていた。

 自分はリーダーになった。賢三や有志の大人たちも、自分をリーダーとして認めてくれている。リーダーとしてタケルは、哲太を郷土芸能祭に出してもらえるように、賢三たちにかけあってみようか、そう考え始めていた。

 ——あれだけの踊り手だ。

 夏の太鼓行列で一八を務めていた哲太の踊りは、今も鮮明に覚えている。あの場にいた誰よりも上手かった。もはや伝統芸能の枠を超えて、現代の新たなパフォーマンスとも呼べるようなものだった。きっと太鼓を叩いていても、笛を吹いていても、目を惹く存在になるに違いない。郷土芸能祭の舞台でも賢三の保存会を際立たせてくれるだろう。それ以前に、哲太と同じ舞台に立って森若太鼓を叩いて踊ってみたい——。

 明日、思い切って賢三にかけあってみよう、きっとダメだと言うだろう、かなりの覚悟と勇気がいるな、それでもダメもとで言ってみよう、そんなことを考えながら、練習会を終えて茂の家に帰ると、いつも窓から漏れ出ている灯りがなくて、家は真っ暗だった。

「ただいま」

 カラカラカラ……。玄関の鍵はかかっていない。いつものことだ。けれども家の中に人の気配がない。玄関のすぐ左の居間に入って、天井の電灯から垂れたスイッチの紐を引っ張って部屋を照らしてみたけれど、やっぱり誰もいない。台所へ行って同じように電気をつけても二人の姿はない。居間の奥の和室にも。茂も志乃も、誰もいない。

 プルルルルルルル……。

 居間の隅っこの電話が鳴ってタケルはドキッとした。不安な気持ちが急に増した。

 プルルルルルルル……。

 慌てて電話に駆け寄って受話器をとったとき、どんどん増していた不安は、何かがあった、そんな悪い予感に変わっていた。

「……もしもし?タゲル?帰ったの?」志乃の声だった。

「おばあちゃん?うん、今、帰ったよ。どこにいるの?」

「病院」

「えっ?病院?」

「病院。おじいちゃん、トラックで倒れで、救急車で運ばれだの」

「……!?」

 部屋の寒さも手伝って、受話器を持つ手が大きく震え出した。耳元でカタカタと受話器が鳴った。