インタラクリ -1876ページ目

広告は、コンテンツである。とする立場。

「ガンダム」と「エンゲージメント」。

ここ何回か、なぜか「ガンダム」について、
気になって、考察をしてきましたが、

先日、弊社「我が部署」の定例会に出て、NYで開催されていた
「アドウィーク」のレポートを聞いた時に、
ある重要な結論に達したような気がしたので、
ここにログしておきます。

「アドウィーク」のレポートは、
ARFAAAAOMMA 、などで見聞されてきた内容を、
コンパクトにまとめ、所属員にフィードバックするものだったのですが、

そこで語られていた、今、一番重要な概念は、
「ストーリーテリング」と「エンゲージメント」でした。

「広告は、ストーリーテリング・ビジネス。」
「心理的効果を基準にした成果報酬→エンゲージメントへ、
 広告商取引のルールが移って行く。」
「しかし、広告の基本は、まったく変わらない。」
「Big idea insted of Ads!」
(『広告』ではなく、BIGアイデアを!)

などなど。。。

自分がどっぷり手を染めている事例が、ひとつでもあると、
最新の「理論」も、すべて「実感」としてわかってきます。

例えば、「ブログで、マーケティング」というなら、
まず自らブログをやってみて、読者が本当に集まるものなのか、
読者が集まったら書き手はどういう気持ちになるのか、
そういうことを体験してみるべきです。

「バズで、マーケティング」という場合も、同じく。
受発注でない伝達、常にどう動くかわからないコミュニティに、
自分を置き、受け手=応え手との「同時性」を自ら体験し
その刻一刻と変わる「バズの発生と消滅」を
その渦中で「ライブ」で「実感」すると、わかります。

規模はともかく、
mixi で展開中の「体内怪人ファンコミュ!」 は、まさに、
「ストーリーテリング」ベースの「エンゲージメント」そのものだな、と
レポートを聞いて、思ったのでした。

その時、ふと、なぜ最近「ガンダム」のことを
ずっと考察していたのだろう、、ということに、解答が出た気がしたのです。


「ガンダム」こそ、まさに、
すぐれた「ストーリーテリング」によって、
永続的に、支持され、ユーザーに共有されつづけ、
終わることなく「エンゲージメント」されている
「ブランド」ではないか!と。

「未来の広告」のヒントは、やはり「ここ」にあったのだ、と。

「ガンダム」に限らず、
「コミケ」等で楽しまれる「アニパロ」の「同人誌」こそ、
「エンゲージメント」の「究極の姿」ではないか、と思いました。
(なれのはて、とも、言えますが)

「アレ」を「薄味」にしていくことが、想像できれば、、
、、あの「濃さ」を薄めていくことができるだけで、
「今後10年の広告の変化」も、怖くないんじゃないかな、、、と。

まさに、「あと10年は戦える」であるな、と。

そんなことに、ハッと気づいたのですね。
朝の会社の定例会で。


ロールモデルは、「ガンダム」にあり。

ファンが参加できる「ノリたくなる」優れた「ストーリー」と、
様々にノレる強靭な「基本設定」を作り、
ユーザーが、そのストーリーを構成する「モチーフ」をいじれ、
その「バリエーション」を作って楽しめる。

ずっと、そうやって「遊び続けられる」ということ。

それが、すなわち「双方向」時代の、
広告の「ひとつの姿」なのではないか?と、思った次第です。

(もちろん、他の「可能性」も無数にあると思いますが。)

見るアート、体験するアート。

83年ころは、アルスにも参加していた、

今は亡き、ナムジュン・パイク。


彼の、回顧展を見に、ワタリウムに行ったのは、

何週間か前でした。


展示されていた、タブローやオブジェは、

実際、そんなに、よいものでは、ありませんでした。


それは、なぜだろう、と考えた時に、

前回、アルスのエントリを上げる際に検索した、

アルスの過去記事 にあった、


「見るアート。体験するアート。」の、2つの違いのことを、

思いました。


ナムジュン・パイクは、

「見るアート」の作家ではなく、

「体験するアート」の作家だった。


だから、回顧展に展示されている

「見るアート」は、ショボかった。


彼が、その本領を発揮したのは、衛星中継を使った

生放送TV番組アート・イベントとでも、いうべき、

「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」であり、

「バイバイ・キップリング」であった、わけです。


彼のアートの、醍醐味・魅力は、

やはり、ライブに、同時代に、その時に、(同じこと言ってますが)

同じ世界にいて、あじあわなければ、わからない。


会場で、韓国製の大画面TVに映されていた、

VHSで、もはや、ブリブリに解像度の荒れた、

「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」を見た時に、

昔、それを、見た時の、ワクワクした感じ、こりゃスゲエと思った感じ、を

思い出し、これは、やはり、よいなあ、と思ったのでした。


で、何が言いたいか、というと、、

「見るアート」から「体験するアート」への変遷の、アナロジーとして、

「見る広告」から「体験する広告」への変遷を、語りたいわけです。


広告は、美術品にあらず。


リアルタイム性、同時代性、が大事だろう、と。

今、制作者が発信したことに、

今、ユーザーが反応することが、大事なのだろう、と、

思うわけです。それは、別に、インタラ広告に限らずです。

虫プロと、サンライズ。

相変わらず「ガンダム」について、考え続けているのですが、
実は、これに関して、重大な結論にたどりついたのですが、


その、結論をエントリーする前に、気づいた大事なことを、
先に、上げておきます。



前回のエントリーを、上げたあと、
「本当のところは、どうだったんだろう?」と、思い、、
つまり、ターゲットや裏事情を、誤認してたら恥ずかしいなあ、と思い、

本棚から、

ガンダム者―ガンダムを創った男たち

という本を取り出して、朝方、自分の部屋で、
立ち読みしていました。


その本に書いてあった、重要なこと。
まあ、考えすぎかも、しれないのですが、大事なこと、を
以下に上げておきます。



時は、1970年代後半。


「ガンダム」を作った、日本サンライズという、アニメ制作プロダクションは、
「虫プロ」から出た居場所のない人たちが、旗揚げした会社だったワケですが、
資本金があまりなく、人気のある「原作」を買う「お金」が、なかった、そうです。


それで、「しょうがない」ので、「オリジナル企画」を作った、と。


そして、アニメ制作会社として、「後発」ゆえ、
何か「エッジ」を立てないと、
すでに、出来上がっていた「既存アニメ業界」に、食い込めない、、、


そこで、「玩具のプロダクトの企画」と
「その玩具が活躍するストーリー」を、同時に開発して、
メーカーに持ち込むという、つまり、
「オリジナル・ロボット・アニメ専門」の制作会社、というエッジを、立てたそうです。


別に、そういうスキルがあったわけではなく、
そうしないと、やっていけないから、「しかたなく」スキルを身につけた。


そして、やがて、生まれたのが「ガンダム」。。。


チーフ・シナリオライターの星山氏は、この本の中で、
「低く見られていたロボット・アニメだったからこそ、
ロボット・アニメで、『人間ドラマ』をやって、何がいけないんだ、と
いつか、やってやる、と思っていた」と、語ってらっしゃいます。


そして、ガンダムは、若い世代に圧倒的な指示で、受け入れられた、、、



これって、何かに、似てないですか?
WEB広告界に、似てませんか? 


・・・ていうか、そうありたい、と思いませんか。


お金がないから、手に入る「自由」がある。
勝手にやってよいから、「がんばれるところ」がある。


そして、「新しいユーザー」に指示されて、行きたい。
なぜなら、「面白いから」「新しいから」「今までになかったから」。


このエピソードを読んだ時に、そんなことを思いました。


(*ちなみに、知ってる人には、言わずもがなですが、
手塚治虫の作った「虫プロ」は、その後、倒産したわけです。)

つぶやき。。

しかし、、、大きな声では、言えないけど、、

アメブロって、、よく、オチる、よなあ。。

しかも、力作書いたときに限って、、

バックアップしてないときに限って、、

オチるん、ですよねえ。。


やっと、時間できた、って、午前2時くらいに

アクセスすると、、朝7時まで、と称して

メンテやってるし。。。けっこう、しょっちゅう。。


、、タダだから、文句言えないんですけど。


(こんな重要なインフラを、みんなが、無料で

使ってるというのも、まあ、すごいことだとは、

思うのですが)


(、、しかし、mixi って、オチないですよね。

行ったとき、メンテだったってことも、記憶にないし。

やっぱ、すごい、なあ、と、思います。)

ロボット物、考察、つづき。

ヲタかよ!と、言われそうだが、前回エントリーのつづき。
何か、すごく、大事な気がしており。

その昔、ガンダムで不動の評価を勝ち取る前の、
富野氏らが、いったい何をしていたか?

ぶっちゃけ、言うと、、、こう、かなあ、と。。

玩具メーカー(当時は、タカトクトイスとか、
今はなきポピーとかだったと、思う)に、
小学5年生くらいに売りたい、玩具
(まあ、超合金もどきや、ジャンボマシンダーもどき)の、
デザイン企画と、その玩具が活躍する番組を提案して欲しい、
という、オリエンに対して、、、、

ある時は、、、「ロボ=量産される兵器」として、
スペース・コロニー構想、移民、イデオロギーの争い、
人類の意識進化、戦争、戦争に巻き込まれる青年、
青年のモラトリアム、その成長、終戦、、、という、プレゼン。

また、ある時は、、、「ロボ=謎の古代遺跡」として、
2つの異なった文明系、宇宙意志に試さるその2文明の接触、
人間同士の蔑視、業、さらに凄惨な戦い、滅亡、霊的会話と合意?、
宇宙意志による再生=生命系のやり直し、、、というプレゼン。

そして、常に「打ち切り上等!」

これって、すごくない?

もし、今、弊社に、こんなブチ切れたチームがいたら、
「もっと、得意先のオリエンに答えようよ」とか、
「もっと、ちゃんと仕事しようよ」とか、言われるのだろうか?

それとも、特攻野郎として、尊敬を集めまくるのだろうか?

それは、わからないのだが、

「こんなもん、いいんだよ!だまくらかして、やっちまえよ!」とか、
「どうせ俺達、額縁に入る文化じゃねーんだから、好きにやろうぜ!」とか、
そういう、ある種「ほったらかされる場」があって、

そこで、仲間内で「真剣」に盛り上がって、好き勝手やれる、、、というのが、
新しいモノを作るための、孵卵器として、すごく機能しただろうなあ、とは思います。

もちろん、その中でも、どうでもいい「ロボット物」を作ってた人が、
大多数だったわけで、
富野氏らに、勇気と才能があったのは、間違いないのですが。

富野氏にとっての「ロボット」。自分らにとっての「広告」。

友人のF君の名言に、

「広告を、作るな。 広告で、「何か」を作れ。」

というのがあって、うまいこと言うなあ、どうも、と

思っていたのですが、


一昨日の夜くらいに、なぜか、ふと、

ガンダムの富野喜幸(←改名前)氏の昔のインタビューを

思い出して、少し大事なことに、気づきかけたので、

ログしておきます。


昔、よく富野氏は、アニメ雑誌のインタビューに答えて、

「自分は、ロボット物しか、やらせてもらえなかった。

それが、いつも、本当に嫌だった。

だから、なんとか、そうじゃないものを作ろうとした。」とか、

語っていた。


しかし、あえて言うと、誰が、どう見ても、

その後の富野作品を見ても、

明らかに、彼は、「ロボット物」が好きなはずである。


その「ジャンル物」の中で、いかに、毎回、

「ロボットの概念を変えるか、超えるか」に、知恵を絞っている、

のだと、思う。


自分らの青春時代=70年代末から、80年代なかば、は

ロボットの、豊饒な時代であった。


「ザンボット」「ダイターン」「ガンダム」

「イデオン」「ザブングル」「ダンバイン」と、つづく数年の中で、

富野氏や、その周辺によって、

「ロボット物」の概念は、塗りかえられていった。

若者たちは、その「新しい考え方」に、魅了された。


冒頭のF君の名言にならって言うなれば、富野氏の創作は、

「ロボット物を作るな。 ロボットで「何か」を作れ。」ということになる。


我らも、その昔、富野氏が「ガンダム」でやったようなことを、

「広告」でやりたい。


つまり、100%達者な広告でありながら、

広告の概念を超えて、それを改訂し、しかも、若者が熱狂するようなもの。


ある、と思うんですよね。。。別に、インタラに限らず。

終了バズ。

断片化の理由

もろもろ、忙しくて、
エントリーを更新できないまま、
上げようと構想してたネタが、古くなっていくのを、
もどかしく、もったいないなあ、、と思い、

やや、断片どまりでも、よし、として、
なるべく、多更新するよう、ここに、まず、
いいわけしておく、次第です。

やはり、ブログは、ログであり、システムあっての記述だから、
・リアルタイムが大事
・読み手との共時性が大事
・思いついたことを、すぐ記録に残すのが大事

(共時、共有、というのは、WEBにおける人と人の
 コミュニケーションの基本価値ですよね)

というわけで、今後、なるべく、まめに
更新するために、断片的なエントリーを、
あまり推敲せずに、上げると、思います。が、

なにとぞ、よろしくお願いします。
(以上、いいわけ、でした)

月を、灯す。

「ムーン・ライド」という名の作品です。作品というか、イベントというか。
インタラクト・エレクトロ・パブリック・アートとでもいうべきか。
原理は、冗談のように簡単です。


moonR3.jpg


リンツの街の、中世の面影を残す、中央広場に
膨大な数のダイナモ付き自転車を設置し、
昼間から、通りすがりの参加者に自転車をこいで、発電してもらい
それを、蓄電しておいて、夜10時に、
広場上空に上げた丸いバルーンに光を灯すというもの。


moonR1



これが、なんで、いい感じなのか?


このロケーションと、上げたバルーンのちょうどいい低さ、
その灯りの色あいなどが、本当に、月っぽくて、、

街並み、広場の風情、皆が見上げる角度など、
とっても、ヨーロッパで見る月らしい情緒があったから、
でしょうか。エレクトロなのに。


monnR2


図録やチラシなどで、サムネールを見た時は、
そんなん、こがなくて、いいよ、と思っていたのですが、
実際、こいでみると、けっこうペダルが重くて、、、
妙な、参加感と達成感がありました。


「灯った月」を見た時の感慨は、
実際、インタラクトした=自転車をこいだ者
ならではのものだった、と思います。