インタラクリ -1876ページ目

富野氏にとっての「ロボット」。自分らにとっての「広告」。

友人のF君の名言に、

「広告を、作るな。 広告で、「何か」を作れ。」

というのがあって、うまいこと言うなあ、どうも、と

思っていたのですが、


一昨日の夜くらいに、なぜか、ふと、

ガンダムの富野喜幸(←改名前)氏の昔のインタビューを

思い出して、少し大事なことに、気づきかけたので、

ログしておきます。


昔、よく富野氏は、アニメ雑誌のインタビューに答えて、

「自分は、ロボット物しか、やらせてもらえなかった。

それが、いつも、本当に嫌だった。

だから、なんとか、そうじゃないものを作ろうとした。」とか、

語っていた。


しかし、あえて言うと、誰が、どう見ても、

その後の富野作品を見ても、

明らかに、彼は、「ロボット物」が好きなはずである。


その「ジャンル物」の中で、いかに、毎回、

「ロボットの概念を変えるか、超えるか」に、知恵を絞っている、

のだと、思う。


自分らの青春時代=70年代末から、80年代なかば、は

ロボットの、豊饒な時代であった。


「ザンボット」「ダイターン」「ガンダム」

「イデオン」「ザブングル」「ダンバイン」と、つづく数年の中で、

富野氏や、その周辺によって、

「ロボット物」の概念は、塗りかえられていった。

若者たちは、その「新しい考え方」に、魅了された。


冒頭のF君の名言にならって言うなれば、富野氏の創作は、

「ロボット物を作るな。 ロボットで「何か」を作れ。」ということになる。


我らも、その昔、富野氏が「ガンダム」でやったようなことを、

「広告」でやりたい。


つまり、100%達者な広告でありながら、

広告の概念を超えて、それを改訂し、しかも、若者が熱狂するようなもの。


ある、と思うんですよね。。。別に、インタラに限らず。

終了バズ。

断片化の理由

もろもろ、忙しくて、
エントリーを更新できないまま、
上げようと構想してたネタが、古くなっていくのを、
もどかしく、もったいないなあ、、と思い、

やや、断片どまりでも、よし、として、
なるべく、多更新するよう、ここに、まず、
いいわけしておく、次第です。

やはり、ブログは、ログであり、システムあっての記述だから、
・リアルタイムが大事
・読み手との共時性が大事
・思いついたことを、すぐ記録に残すのが大事

(共時、共有、というのは、WEBにおける人と人の
 コミュニケーションの基本価値ですよね)

というわけで、今後、なるべく、まめに
更新するために、断片的なエントリーを、
あまり推敲せずに、上げると、思います。が、

なにとぞ、よろしくお願いします。
(以上、いいわけ、でした)

月を、灯す。

「ムーン・ライド」という名の作品です。作品というか、イベントというか。
インタラクト・エレクトロ・パブリック・アートとでもいうべきか。
原理は、冗談のように簡単です。


moonR3.jpg


リンツの街の、中世の面影を残す、中央広場に
膨大な数のダイナモ付き自転車を設置し、
昼間から、通りすがりの参加者に自転車をこいで、発電してもらい
それを、蓄電しておいて、夜10時に、
広場上空に上げた丸いバルーンに光を灯すというもの。


moonR1



これが、なんで、いい感じなのか?


このロケーションと、上げたバルーンのちょうどいい低さ、
その灯りの色あいなどが、本当に、月っぽくて、、

街並み、広場の風情、皆が見上げる角度など、
とっても、ヨーロッパで見る月らしい情緒があったから、
でしょうか。エレクトロなのに。


monnR2


図録やチラシなどで、サムネールを見た時は、
そんなん、こがなくて、いいよ、と思っていたのですが、
実際、こいでみると、けっこうペダルが重くて、、、
妙な、参加感と達成感がありました。


「灯った月」を見た時の感慨は、
実際、インタラクトした=自転車をこいだ者
ならではのものだった、と思います。

肉眼に対して、アニメする。

今回のアルス・エレクトロニカで、たぶん一番完成度が
高かったのではないか?と思うのが、


岩井俊雄さん+NHK技研の
「モルフォ・ビジョン」だったと思います。


これは長年、岩井さんが追求してらっしゃる
「アニメーション・オブジェクト」の最新・発展形。


morfo


私が、初めて見た岩井さんの「アニメーション・オブジェクト」は、
「ロートスコープ」を立体化し、「スリット」の代わりに
毎秒24回前後発光するフラッシュ・ライトと、
動画用の「目」の写真が貼り付けられた回転する「円筒」とが、同期するものでした。


(↓このころです。我が青春の80’sアートですね)
http://plaza.bunka.go.jp/museum/artistory/1980/index.html



今回、その発展形で出品されていたオブジェは、
その毎秒24~30回?当てる光の形=スリットの形を
変えることで、目に対して、ダイレクトにスリット・スキャンのように、
定型の立体を変形視させるものでした。


スリットという原理だけにおいて、
リプチンスキーの変形する回転体の映像を思い出しました。


光の当たっているところだけが、その何十分の一の秒数の間、
目に残って見える。


当てる光が、直線1本、ジグザグ線1本、無数の点線、など
変わることによって、見える部分が変わり、
残像が統合されて脳に映ずる形が、グニャグニャと変わる。


極めてシンプルな構造ながら、
極めて面白い視覚体験のできる作品でした。


肉眼に対して、(というか、「脳」に対して)
直接、アニメーションを作る、というのが
とても、面白い考え方だと思います。


公式サイトは、コチラ。
http://www.nhk.or.jp/strl/morphovision/
技術的なことの詳細が、正しく書かれています。

メディア・アートから、メディア・バイイングへ。

やや日がたってしまいましたが、
アルス・エレクトロニカに行く前に、構想していた「テーマ」がありました。
それは、ずばり「メディア・アートから、メディア・バイイングへ」という野望です。


media.jpg


ピュア・アート側からは、邪悪と呼ばれるのかも、しれません。


でも、最新メディア・アートの、考え方、発想法、
アプローチの仕方、アイデアの核を、

新しいメディアを開発したり、売ったりすることに、
活用できないか?と。


広告屋としては、そのヒントを得たい、ものだなあ、と思っていました。


物見遊山でアート観光に行くのではなく。
アーティストとして、いつか自分もアルスに出品したい、というのでもなく。


新しい考え方を見て、刺激を受けたら、
今やってる「現業」に活かすべきである、と。それが、一番速いはず。

なんだって、使えるし。なんだって、あり得る。


新ネタを受容して、新しいことを考えたら、すぐそれを仕事にしたいものです。
それができれば、ずっと仕事は面白くありつづけるはず。


自分の新発見を、ユーザーさんにフィードバックすれば、
もっと面白い「状況」が実現するかもしれない。
新しい「現実」が作れる、かもしれない。
ネット界の人は、広告・非広告を問わず、そうやって頑張ってる気がします。



「アート」と「商売」の戦いには、長い論考の歴史がありますが、
しかし、大衆芸術とは、パクリあってこそ、発展するもの。


新しいエレクトロニック・アートも、新しいデバイス・アートも、
最新のメディア状況=最新のメディア・ビジネスと無関係では、生まれていないはず。


「アート」と「商売」が、お互いを尊敬しあい、吸収しあって、
しのぎを削りあい、出し抜きあってこそ、面白くなって行くのでは。


表現に、聖域なし。


新しいことを考え、面白いモンを実現して、人々=ユーザーの支持を得てこそ、
新しい文化=新しい現実になっていくと思います。


(添付画像は、会場のひとつで買った、中古のキーボードを再利用した、マグネット。
 この考え方がステキだと思ったのと、ちょっとテクノテイストだったので)


↓かなり古い記事ですが、アルスとメディア・アートの20年をまとめてあるので、参考まで。
http://ascii24.com/news/i/topi/article/1999/10/25/605131-000.html?geta

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