リヤ2 | オーナーの読書室

リヤ2

 「シェークスピアは、君がそうと思う何者でもあったはずだ」と、トルストイは結論づけている。「ところが彼は芸術家ではなかったのだ」それどころか、彼の見解はオリジナルではなく、あるいは興味あるものでもなく、しかも彼の性向は、「最低であって、なおかつ非道徳的である」面白いのは、トルストイはこの判断を、シェークスピア自身の言葉ではなく、二人の批評家であるゲルビヌスと、ブランデスの主張にその根拠をおいていることだ。ゲルビヌスによれば、(少なくともトルストイが理解する限り)「シェークスピアが思うに・・・人は善良すぎる」 また一方でブランデスによれば、「シェークスピアの基本原則は、・・・結末が手段を正当化する」トルストイは、次のように自ら理由づけを行っている。それはすなわち、シェークスピアは最悪のタイプの好戦的愛国主義者だったのだが、このことは、ゲルビヌスやブランデスが、シェークスピアの人生観についての真実で、適正な説明をしたのとは別物であるとしている点である。


 トルストイはまた、他の箇所でずっと大幅に展開した自身の芸術論を、二三の段落でもって再度行っている。そのことをあっさりと簡略に言えば、主題の尊厳さ、誠実さ、そして良質の職人芸の必要性、というふうにまとめられる。芸術上の偉大な作品とは、“人間の生活にとって重要である”いくつかの主題を扱うものでなければならない。それは作者が真に感じる何かを表現しなければならないのであって、それはまた、望むような効果を生み出すべく技術的な方法を用いなければならないのである。シェークスピアは、その態度における品性が低劣で、そのやり方はだらしなく、たとえ一瞬間であれ真摯であろうとして、それにしくじっている、云々というふうに、彼の立場は救い難いものとなっている。


 しかしながら、ここで困難な疑問が生じてくる。もしもシェークスピアが、すべからくトルストイがいうような存在であるとすれば、どうして彼は、一般的に賞賛されたのだろうか? 明らかにその答えは、一種の集団的催眠効果、もしくは“伝染病的暗示”にのみあるのだ。すべての文明世界では、いずれにせよ、シェークスピアは良い作家であるというふうに、だまされてしまっているのであり、そして、これに異を唱える最もシンプルな見方であっても、何の興味も起こさせないのである。なんとなれば、人はもののわかった意見を聞くのではなく、宗教的に近しい何かに注意を喚起されるからだ。歴史を通して、こうした“伝染病的暗示”の果てしなき連続がある、とトルストイは言っていて、――例えば十字軍、哲学者の石の探求、かつてオランダ中を席巻したチューリップ騒動、等々である。この現代の局面においては、むしろ特徴的なのだが、ドレフュス事件では全世界が、十分な理由もなく大騒ぎとなっている、とトルストイは言う。また、長続きしない政治的な、また哲学的な理論があり、そして、あれやこれやの作家、芸術家、科学者がいる、――例えばダーウィン、彼は(1903年時点で)“忘れ去られようととしている”。またいくつかのケースでは、まったく無意味な人気者が、何世紀にもわたって残るかもしれない。というのも、「こうした狂気はたまたま起こるのであり、社会に蔓延した人生観のその程度に応じて、その主要な階層がたまたま反応した特別な理由によって生じるものだからだ。特に、文学サークルではそれが長期間にわたって維持されることがある。シェークスピアの劇作は長期間にわたって賞賛され続けてきた。というのも、“彼、及びわれわれの時代の上層階級における非宗教的、非道徳的な心情に感応した”からなのだ。



シェークスピアの名声が“始まる”そのプロセスについて、トルストイが説明しているが、18世紀の終わりごろ、ドイツ人の教授によってそれは“引き起こされた”。彼の評判は、“ドイツでつくられ、それからイギリスへと移転したのだ。”ドイツ人は、シェークスピアを持ち上げるという選択をしたのである。なぜなら当時、話題にするようなドイツ製の戯曲がなく、そしてフランスの古典文学が硬直して、作為的になりはじめたころで、彼らは、シェークスピアがつくる“場面の賢い形成”に魅了されたのであり、また彼らの人生に対する自分たち自身の姿勢がよく表現されていると思ったのである。ゲーテが、シェークスピアは偉大な詩人であると宣言し、この点において、他のすべての批評家たちもオウムの集団のごとく追随し、爾来、大方が魅了された状態がずっと続いてきたのだった。結果として、戯曲の品位の更なる低下を招き、――現在の舞台を非難する際、トルストイは、自身の劇作も注意深くそのうちに入れているのだが、――道徳的な展望をもさらに破壊する結果となったのだった。さらには、「シェークスピアの誤った栄光化」というものが、トルストイ自身がたたかう義務のある重要な悪となっていったのである。


―――つづく