象を撃つこと2
ビルマ人は、武器をもっていないので、この事態にたいしてはどうずることもできなかった。象は、すでに誰かの竹でつくられた小屋を壊し、一頭の牛を殺し、果物屋の屋台を襲撃して、その商品をむさぼり食った。またその象は、市の衛生局の清掃車と出会い、ドライバーがあわてて逃げ出すと、かかとでそのバンをひっくり返し、さんざんにふみつぶしたのであった。
ビルマ人の副官と、数人のインド人の警官が、象がいた街かどのところで私を待っていた。そこは貧民街の一角で、やしの葉でふいた屋根のある竹製の小屋が、急な丘の斜面に迷路のように立ち並んでいた。雨季が始まるころで、曇天で、むっとした空気であったと記憶している。われわれは、住民に象がどこへ行ったのか訊きだそうとしていたのだが、例によって、確かな情報を得ることができなかった。これは東洋では日常茶飯事である。一つの事柄は、ある一定の距離をおくと、十分にはっきりしているのだが、現場に近づけば近づくほど、事態は不鮮明となるのだ。ある者は、象はこっちの方向へ行ったと言い、また別の者は、あっちの方向だと言い、また別の者は、象の話なぞ聞いたことがないという始末だ。これはまったくの作り話じゃないのかと、私が思いかけたとき、遠くのほうで叫び声が聞こえた。それは大声で、すっとんきょうな声であった。「おまえたち、どこかに行きなさい! 今すぐ!」手に木の枝をもった老婆が、小屋のそばに来て、裸の子供たちの一団を乱暴に追い払っていた。さらに幾人かの女がその後を追っていった。彼女たちは舌打ちしながら、叫んでいた。明らかにそれは子供が見るべきものではない何かであった。小屋のまわりを回ってみると、泥の中に男の死体が横たわっているのが見えた。彼はインド人であった。浅黒いドラビダ人のクーリーで、ほとんど裸で、死後何分も経っていない感じであった。みんなが言うには、その象が突然、小屋を回って、彼のところにやって来て、鼻で彼をとらえ、足で彼の背中を押して倒したのであった。今は雨季で、地面はやわらかく、彼の顔は、深さ1フィート、長さ2ヤードほどの溝をつくっていた。彼はうつぶせに横たわっており、腕は組み合わされ、頭が片一方に鋭くねじれていた。彼の顔は泥におおわれ、目は大きく見ひらき、歯がむき出して、耐え難い苦悶の表情で、ニヤッと笑っているようであった。(ところで死者の表情が平穏だとは決して言わないでほしい。私が見たほとんどの死体は、悪魔的であった。)この大きな動物の足のこすり傷が、彼の背中の皮膚をはぎとり、ほとんどそれはウサギのようになっていた。死体となっている男を見るやいなや、近くにある友人の家に、象用のライフルをとってくるように用務員に、私は以前に言い渡してあった。
用務員がまもなくライフルと5個のカートリッジをもって戻ってきたが、その間、数人のビルマ人がやって来て言うには、ほんの数百ヤード下の水田に象がいるとのことだった。私が出かけると、その町の一角の住民が、文字通り、全員一団となって出てきた。彼らは私のライフルを見ており、全員が、私がその象を撃つであろうと叫んでいた。その象が家を壊している間は、彼らはたいした興味を示さなかったのであるが、だが象が撃たれるとなると、話が別である。それは彼らにすれば、ちょっとした楽しみであった。それはちょうどイギリス人の大衆であってもそうであろう。それに彼らは肉を欲しがっていた。そのことで私はなんとなく落ちつかなくなった。私は象を撃つつもりはなく、――ライフルをもってこさせたのは、ただ必要に応じて、わが身を守るためであり、――それにしても、後からぞろぞろとついてくる群集にはいらいらさせられた。丘を下って行く際、ライフルを肩にかつぎながら、どんどん増えてくる群集に押されるようにして進む私は馬鹿のように見えたし、そう自分でも思った。小屋から遠く離れた丘の下では、舗装された一本の道路があり、その向こう側にはぬかるんだ水田が、千ヤードも広がっていて、そこはまだ耕作されておらず、最初の雨でぐじゃぐじゃになっていて、ところどころに雑草が生えていた。象は道から8ヤードのところに立っていて、われわれに左側を見せていた。そいつは、草をむしゃむしゃやっていて、ひざでたたいてから、まとめて自分の口のほうへもってきた。
私は道端で止まった。象を見るやいなや、これを撃つべきではないと、私は確信するように思った。労働に従事している象を撃つことは重大であり、――巨大で、高価な機械を壊すにも等しいことであり、――避け得ることであれば、明らかにそれはやるべきことではなかった。そして、この距離では、無事に草を食んでいる象は、牛よりも安全に見えたのである。“命令”にたいする彼の攻撃の時期はすでに通りすぎたのだ、とその時思ったし、今でもそう思っている。この段階では、象使いが帰ってきて、彼を捕まえるまで、害を与えることなく、ただ単にうろついただけなのである。しかも、その象を撃ちたいとは私はこれぽっちも思っていなかった。しばらく様子をうかがって、暴れだすことがないのを確認してから、帰ることに私は決めたのだった。
―――つづく