くじらの中で15
しかしながら、この数年間、英国知識人の間で、ロシアというカルトにたいして、間違いなく貢献したもうひとつ別の事柄があって、それは、英国自身の安寧と安全そのものである。そのまったき不正でもって、英国は、それでもハービーズ・コープス(訳注:人身保護令状【ラテン語】)の国であり、イギリス人のひじょうに大多数の人が、暴力や、あるいは非合法性といったことを体験したことがない。人がもしこの種の状況下で成長した場合、専制的な体制とはいかなるものであるかということを想像することは、まったくもって、簡単なことではない。30年代の主要な作家のほとんどすべては、なまなかに解放されたような中流階級に属しているのであって、彼らが第一次世界大戦の実質的な記憶をもつには若すぎたのである。こうした人々にとっては、パージや、秘密警察、略式(死刑)執行、裁判なしの収監、等々の事柄を恐怖するには、あまりにもかけ離れていた。彼らは全体主義を飲み込んでしまっていた。 “なぜなら”、彼らには、“リベラリズム”以外、何の経験もないからである。例えば、オーデン氏の詩「スペイン」からの抜粋を見よ。(ところでこの詩は、スペイン戦争について書かれた二三のうちのまともな詩のひとつであるが):
若者にとって明日、爆弾のように爆発する詩人
湖畔の散歩、完全な親交の数週間、
明日は自転車競走、
夏の夜、郊外を通って。だが、今日は闘争の日。
今日、死の機会が意図的に増大する
必要なる殺人という罪を意識的に受け入れる
今日、権力が増大する
平たくはかないパンフレットと退屈な集会の中で
第二節は、“良き政党人”の人生における一日を簡潔にスケッチしようとしたものだ。二件の政治的な殺人のあった朝、その間に、十分間の息苦しい“ブルジョア的”後悔、そしてそれから、あわただしい昼食と、忙しい午後と夜、黒板とパンフレットの配布。すべてが啓発的である。だが、“必要なる殺人”というフレーズに注目してみよう。それは、殺人というものが、最大限にとっても“ひとつの言葉”である、と思っている人間によって書かれたものだ。個人的に、私は、殺人というものを軽々しくしゃべろうとは思わない。たまたま私は多くの殺害された男の死骸を見たことがある、――戦闘で殺されたという意味ではなく、殺人である。従って、私には、殺人というものがどういうものであるかという概念があって、――それは、恐怖であり、憎悪であり、泣き叫ぶ近親者、遺族であり、血であり、その匂いなのだ。私にすれば、殺人とは、避けるべき何かである。それはふつうの人間であればみなそうであろう。ヒットラーとスターリンは、殺人は必要なものであると思ってはいるが、しかし、彼らが酷薄であるとは宣伝しないし、それを殺人とも言わないであろうし、それは“清浄化”とか、“削除”、あるいは他のおだやかなフレーズを用いるであろう。オーデン氏の専売特許である無道徳性とは、引き金が引かれたとき、いつもどこか他の場所にいるような人間にとってだけ有効性があるのだ。同様に、左翼思想とは、火が熱いことすら知らない人間が、一種の火遊びをしているようなものである。1935年から39年にかけての英国知識人がけしかけた戦争挑発行為は、大半が、こうした個人的な免疫性をベースにしたものだ。フランスでは、こうした態度に大きな違いがあり、そこでは、兵役を逃れるのは難しく、文筆家であっても兵嚢の重さを知っているのである。
シリル・コナリー氏の最近の本「約束の敵」の終わりの方で、興味深く、意味深い文章が出てくる。この本の最初の部分は、大なり小なり、現代文学の評価談である。コナリー氏は、“運動”の作家たちの世代にぴったりと属していて、かつ、彼らの価値観と彼の価値観との間には、そんなに多くの留保はない。散文作家たちの中で、暴力に特化したもの、――ヘミングウェーや、その他、アメリカ流のそうあるべきタフさ、を主として賞賛していることに気づかされるのは興味深いことだ。この本の後半部分では、しかし、自伝的になっていて、1910年から1920年における予備校と、イートン校についての魅惑的に正確な描写で構成されている。コナリー氏は以下の言葉で終わっている:-
私がイートンを去ることについての感情から、あらゆることを推論するとすれば、それは、“永遠なる青年の理論”とでも呼ばれるものであろうか。その理論とは、大きなパブリックスクールで少年が受けた経験は、とても強烈なもので、彼らの人生と、その後の進展をも左右するほどのものだ、ということなのだ。
人がこの文章の二番目を読むと、自然にミスプリではないかと思ってしまう。たぶん“否(いな)”か、あるいは何かそうものが抜けているのでは、と思ってしまうのだ。だがそうではない。断じてそうではない! 彼は真面目にそう思っているのだ。なおかつそれ以上に、彼は単純に真実を語っているのだ。しかもあべこべの順番で。“文化的な”中流階級の生活は、パブリックスクールの教育という一定の柔軟性に到達していた。その教育とは、――五年間のスノーバリー(紳士気取り)というぬるま湯の中で、――色々なことがあった時期として実際にふりかえることが可能なのだ。30年代で重要視されたほとんどすべての作家たちにとって、「約束の敵」でコナリー氏が記録した以上に何が起こったというのか。常にそれは同じパターンであって、パブリックスクール、大学、数度の海外旅行、そして、ロンドンである。飢え、困窮、孤独、国外脱出、戦争、監獄、迫害、肉体労働、――ほとんど言葉にならないほどのもの。いわゆる“正しき左翼の人々”として知られる巨大な部族は、ロシアの体制におけるパージとゲーペーウー(秘密警察)、それと五カ年計画の恐ろしさを簡単に許容することは、不思議でも何でもないのである。彼らは、そうしたすべてがどういう意味をもっているのかということを、輝かしくも、理解することができないのである。
―――つづく