コルトレーン再考3 | オーナーの読書室

コルトレーン再考3

コルトレーンの政治性に関しては、たとえそれがきわめて抽象的なものであるにせよ、彼の音楽的スタイルが絶え間なく変化しているという状況証拠からとらえるしかすべはないように思われる。というのも、彼自身はもちろん政治的なコメントは一切していないし、訊かれてもそれに答えた形跡は皆無であるからだ。ソニー・ロリンズが答えているように、「彼はそうした世俗的なものから離れて、ずっと高い境地にあった」のか。確かに結論的にいえばそういうことであろう。だが、1956年、彼がマイルスグループに参加するころから確立した自身のスタイルを、それ以降、ほとんど数ヶ月単位といってもいいほどのスピードで変化させていった背景は何であったのかということを、今少し考えてみる必要性がわれわれにはある。


1950年代から60年代にかけてのアメリカは、リチャード・ライトが形容するところの「焼けつくような人種差別」が吹き荒れていた時代であった。この言葉の真の意味を想像することは、現代(いま)となれば、容易なことではない。「焼けつくような人種差別」とは、暴力と死がすぐそこにあるという状況であり、まわりの人間はすべて敵であるという状況に一人で立たされているような感じ、とでも表現されよう。この独特で、凍りつくような緊張感が、ライトの小説の中で緻密に描出されているが、これが黒人のメンタリティに様々な影響を与えた。アフリカへの回帰、ヨーロッパへの脱出、イスラムへの帰依、マルクス主義、フロイト思想、そして暴力主義。デモ、ストライキ、社会的暴動、そして大規模な公民権運動へと、カオス的に何もかもが煮詰まっていく状況があった。そもそも、第二次世界大戦が終了した時点で、アメリカの黒人は、祖国のために命を懸けて戦い、幸いにも生き延びて帰国できた者は、人種差別のない理想的な国家を夢見たのだが、現実はまさにその逆で、アメリカ白人は、戦前よりもまして露骨で、激しい暴力的な差別を黒人に強いた。戦後の混乱期、正当な理由もなく自宅を白人に取られたり、意味もなくただ黒人というだけで、集団リンチにあったりとその状況は、まさに理不尽そのものであった。黒人の抱いた深い失望、幻滅、そして白人に対する激しい憤り、憎悪と憤怒は、想像するに余りある。これに対して、暴力的に反抗しようとする一方で、思想的に白人を乗り越えようと、あるいは、白人も、黒人も結局同じ人間で、辛抱強くその理解と、和解に向けて運動しようとする流れがあった。


コルトレーンの音楽はこうした社会状況から生まれてきている。超絶的な練習をしながら、同時に猛烈な読書家であった彼が、自分が生きている状況から超然としていたとは考えにくい。このことを示すひとつの状況証拠がある。それは、彼が作曲した「アラバマ」である。愚かにも当初、私はこれを、アラバマという田舎ののどかな風景を描写した牧歌的な曲であると一人合点していた。とんでもない間違いであった。伝記によればこれは、アラバマの教会で、白人が起こした爆破テロにより、四人の黒人少女が爆死した事件を悼んで書いた曲であった。その静謐な曲想は、憎悪、怒りが昇華されて、深い、神聖な悲しみに満ちている。



-----つづく