ケイズケイスの近況8 | オーナーの読書室

ケイズケイスの近況8

ケイズケイスの近況8


もうそろそろこのへんで、このコントラバーシャル(議論の余地の多い)な議論をやめにしたい。例によって反響もないし、店の客の多くも、まあそういう観点もあってもいいかな、という程度だ。誤解、曲解は覚悟の上だが、ただし、もうひとつだけ言っておかねばならないことがある。これまでの私の言説(ディスコース)からは、あたかも英語の発声が、すべてのジャズのフレーズをかたちづくっているかのようにとられるかもしれないが、それは、それこそ誤解である。英語の子音の構造が、ジャズのフレーズにおいて重要な要素であることは論をまたないが、もちろんそれだけで出来上がったものではない。もう一つ重要な要素は、黒人がもともと身体にもっているリズム感だ。特にそれは言語学的には、西アフリカの言語であるヨルバ語である。アフリカ人で初めてのノーベル賞作家であるウォーレ・ソインカが言うように、あるいはまた、ジョン・コルトレーンの伝記作家であるシンプキンスが指摘しているように、主に西アフリカから拉致されたアメリカにおける奴隷から現代へと続く黒人は、濃厚にヨルバ語のイントネーションを残している。それは例えば、チャールズ・ミンガスのインタビューを聞けばよくわかる。彼は、アメリカ南部のなまりがある英語をしゃべっているのだが、そのイントネーションは黒人独特のもので、その抑揚は、奥深くダイナミックで、話すこと自体にリズムが感じられる。ジャズのフレーズは、このヨルバ語のイントネーションに基づいたものだとも言えるのである。こう見てくると、ジャズは、英語とヨルバ語からなるハーフ(混血)音楽ともいえる。すなわちジャズは、ヨーロッパ文化とアフリカ文化の混血なのだ。とすると、いよいよわれわれ日本人は関係ないのかというと、そうでもない、と思いたい。


上述のソインカは、ヨーロッパ文化に対立するアフリカ文化の概念は、「繰り返し」と「切断」にあると説明している。ヨーロッパは、ルネッサンス以後、直線的な「進歩」という概念で現代へとつながっている。これには必ず「終わり」と「始まり」があり、どこか物語じみている。翻って、アフリカの伝統である「くりかえし」と「切断」では、すべてが「そこ」にあって、いつでも始まり、いつでも終わる。太鼓などのパーカッション楽器で「繰り返される」リズムがあってはじめて、いつでも始まり、いつでも「切断」することのできる即興演奏が成立している。これは、「進歩」というリニア(直線的)な概念でとらえられるヨーロッパ文化とは著しく異なった文化である。直線(リニア)に対して、「円環」であるともいえる。これはわれわれアジアの考え方でもある。英語という「窓」、あるいは「手段」(ツール)を通して、アフリカ的な「繰り返し」と「切断」を共有することができる。このことは、ジャズがインターナショナルな音楽であることのひとつの要因である、と私は思っている。