45年前、私が大学進学のために入居した学生寮の同室に、

アメリカン・ポップスが大好きな先輩がいました。

その方の影響でバリー・マニロウに魅かれた若き日の私。

その後、6年付き合って入籍した男性に死なれ、

真っ暗な気持ちで実家に戻った私を励ましてくれたのがこの歌です。

 

 

 

<僕たちの愛は正しかったけど時を間違えていた

 海の向こうで輝くたくさんの夢が君を呼んでいたとしても、

 僕には君をとどまらせる権利はないんだ。・・・

 でもきっと僕らの道はいつかどこかで出会うだろう>

 

みたいな失恋後の未練がましい男の気持ちを歌っています。

バリー・マニロウはバラードであれロックであれ愛の歌が中心

そんなバリーに対して、

当時日本でも大人気だったロック歌手のビリー・ジョエルが、

「もっと社会的な問題を歌にするべきではないか」と非難したのです。

 

 

 

ビリー・ジョエルといえば「誠実とは実に寂しい言葉」と歌う「オネスティー」

どんなプレッシャーを受けても最後に考えるのは君だ、と励ます「プレッシャー」

「若死にするのは善人だけ」とか「アレンタウン」とか

極めつけはベトナム戦争の兵士たちを歌った「グッドナイトサイゴン」

 

 

 

社会への反発や抵抗、反戦を美しい歌にしてしまう天才です。

アフリカの飢餓を救うための「USA for Africa」にも参加しましたし。

でも、音楽家ならこういうのを歌えと言うビリーにバリーは言いました。

 

「僕が何を歌おうと僕の自由だ」

 

自由! それこそがアメリカ人の魂です。

そんなバリーは後年、自身が同性愛者であることを公にしています。

けれど彼はそれを歌にしたり何かを訴えたりということはしません。

パートナーとは、’70年代からつきあっていたそうですが、

あの頃それを言ったら自分のキャリアは終わっていたとバリーは言います。

 

 

 

<僕たちは雨の中を頑張って切り抜けてきた

自分のぬくもりを保ちながら、自分の視点を保ちながら

そして同じように頑張ってきた人たちから尊敬されるんだ>

 

社会に対して何かを要求するのではなく、

自立した個人として自分の生き方をただ貫いてきた現在のバリーは、

パートナーの娘さんに子供が生まれて「おじいちゃん」になりました。

 

 

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ビリーは結婚4回めのパパです。自由だあ!

 

常に社会的マイノリティーの味方であろうとするビリーは、

バリーが性的マイノリティーと知ったときどう思ったでしょうか。

ビリーご自身はこのようなことを歌っています。

 

「君が何を言っても気にしないよ、これは僕の人生だからね(マイライフ)」

 

以前も書いたと思いますが好きな話なので後2回くらいは登場するかも(≧▽≦)

 

 

 

 

アメリカ人にもいろんな人がいますね。
そもそもバリーの先祖はロシア系ユダヤ人、
そしてビリーの親はナチスに迫害されたユダヤ人。
ユダヤ人にもいろんな人がいます。