選挙の話題で盛り上がると思い出すのが、

4年前に亡くなった重度の知的障害者だった妹です。

彼女は犬の絵を見せて「いぬ」と書く知能とか

「こんにちは」と頭を下げる社会性はあったのですが、

発話能力がなく自分の意志を表現するができませんでした。

叱られたり命令されたり、周囲が会話を楽しむのをただ聞きながら、

自分の言いたいことは何一つ伝えられないというストレス、

そんな苦しみと共に55年間を生き抜いた妹を尊敬しています。

 

 

 

意思表示ができない重度知的障害者の妹にも選挙権はあります。

妹は平仮名は書けるので自分で投票用紙に候補者の名前は書けます。

そこでこれは明らかに選挙違反なのですが(時効ってことで)

家族が応援している候補者の名前を家で練習させ、

当日は私が妹の隣の台に立ち手を伸ばして候補者名を指し示し、

彼女がその名前をひらがなでしっかりと用紙に書き込みました。

後ろにいた選挙管理委員の方々は苦笑いしていただけ。

非難されたら妹の人権を盾に反論するつもりでしたが、

田舎では知的障害者の夫婦も珍しくないので皆さん寛大です(^^)/

 

 

関連する画像の詳細をご覧ください。選挙の投票をあきらめないで~ある知的障害者の一票~ | NHK

 

そんな妹ですが養護学校の高等部で卒業が間近になると、

軽度障害児就職がどんどん決まっていくのに、

言葉を持たない彼女は就職活動からは置いてけぼりでした。

養護学校の先生方も県への報告をしなければならないので、

就職見込みのない重度障害児の面倒を見る時間を割いて、

軽度障害児を一人でも多く就職させ成果を上げようとします。

 

障害者差別を問いなおす (ちくま新書) : 荒井 裕樹 では、

脳性マヒの当事者による運動団体「青い芝の会」をとりあげ、

彼らが「働く=善」という価値観を否定したことについて述べています。

 

 

関連する画像の詳細をご覧ください。追悼、里内龍史さん 障害者の権利獲得目指し闘い続けた

 

<どうしても生産活動に従事できない重度障害者にとって、

「働く=善」という価値観を受けいれてしまえば、

自分が生きる意味を常に否定し続けなければならなくなります>

 

<「我々障害者は、一束担げなくても落ち穂を拾うだけ、

あるいは田の水加減を見ているだけでもよしとすべきであり、

さらに言うならば、寝たっきりの重症者がオムツを替えてもらう時、

腰をうかせようと一生懸命やることが、

その人にとって即ち重労働として見られるべきなのです。・・・

そのような社会構造を目指すべきだと思います」

横塚晃一「母よ、殺すな」より>

 

 

母よ!殺すな

 

私は学生時代に重度障害者の介護活動を通して、

「青い芝の会」の考えに触れる機会がありました。

その後、実家に戻って妹の面倒を見るようになった時も、

彼女に「感謝」や「感動」の言葉をかけることができたのは、

「その人が一生懸命やることを認める」という考え方が、

介護活動の中で身に着いたからだと思います。