日本語の「尊敬」という言葉には、
ある人に捧げる敬意が込められています。
一方で、英語の「リスペクト」は、
人としての価値を認める言葉です。
相手が身分の低い人であっても無名人であっても、
子供であっても配達員のお兄さんであっても専業主婦であっても、
たとえ戦争相手国の兵士であっても、
何らかの価値を認めることを「リスペクト」といいます。
仏教やイスラム教の世界における乞食は、
庶民が施しをして徳を積むために存在しています。
乞食にしかできないことをしているので貴いのです。
けれど現代の日本で貧困層を尊敬する人はいません。
私たちの税金が彼らのために役立っていることに感謝する、
なんて発想をする人も珍しく多くは、施しなんて損、と思っています。
どうかすると寄付をした人のことまで非難します。
ええ格好しい、点数稼ぎ、売名行為、などと言われます。
これは江戸時代の身分制度に原因があるのではないでしょうか。
水飲み百姓が天下をとれた下剋上の時代と違い、
どんなに才能がありどんなに努力をしても農民は武士になれません。
だから当時は「上見て暮らすな 下を見て暮らせ」と言われました。
自分よりも身分の低い人、貧しい人、能力のない人・・・
彼らは農民が不条理な身分制度を納得するために存在したのです。
価値を認めるどころか価値を貶めて留飲を下げていたのです。
それではリスペクトの対象にはなりえません。
親や兄弟の面倒をみている若者や人生の知恵が詰まった老人を、
今の政治(日本人)は同情と保護の対象としか見ていません。
すごいですね、偉いですね、大変ですねという尊敬があればこそ、
対等な立場での支援や協力の気持ちが芽生えるのではないでしょうか。
身分や才能や経済力で尊敬するのではなく、
全ての人の価値を認めるリスペクトが、
もっと社会に広がるといいですね。