<沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で
旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日から79年の
「慰霊の日」を迎える。
政府は台湾有事などを念頭に防衛力を強化しており、
県民の4人に1人が犠牲となった凄惨な地上戦の記憶と重ね、
懸念する県民は多い。
最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では22日、
日米の犠牲者計約20万人を悼む沖縄全戦没者追悼式の前夜祭が開かれた>
<米軍は1945年3月に沖縄・慶良間諸島、4月には本島へ上陸した。
南西諸島の防衛を担う日本軍は5月下旬、
拠点の首里(那覇市)から南部へ撤退を決定。
南部にいた多くの住民が巻き込まれた。
民間人の死者は推計約9万4千人で、
9万4千人強だったとされる日本軍の兵士などの死者と同規模>
自決前、大田中将が海軍次官にあてた電文(全文) [知る戦争]
<76年前の1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、
自ら命を絶ったのが海軍司令官の大田実海軍中将。
自決直前に海軍次官にあてた電文では、
沖縄戦の惨状と沖縄県民の献身をつづり、
「後世特別の配慮を」と訴えました>
電文の最後の部分に中将の思いが詰まっています。
<一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂(い)フ
沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ
(現代語訳)一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、
食べ物も6月一杯を支えるだけということです。
沖縄県民はこのように戦いました。
県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。
そんな海軍中将の願いもむなしく、沖縄は今も、
本土とは比べ物にならない米軍基地の負担を押し付けられています。
私たち本土の人間にできることは、
せめて今に続く沖縄の苦しみを共有することでしょう。
そしていつかは米軍基地のない真の独立国を目指すこと。
ちょうどイギリスへのご訪問が重なってしまった天皇皇后両陛下も、
お二人で静かに祈りの時間を持たれているのかもしれませんね。