西洋人の民主主義はキリスト教信仰が基礎にあります。
だから「唯一の神・キリスト」を理屈抜きで信じようとしない民族に、
西洋人が考え構築した民主主義など本当の意味では理解できません。
なぜ人間はみな平等なのか(ただしキリスト教徒の間では)
それは人間の上に神さまがいらっしゃるから。
我々はみな神の子であるから平等なのだと心から信じているのが、
キリスト教徒なのです。私の旦那もその一人。
旦那がバブル期の広告代理店にいたころ、
当時流行の(?)アジアの夜を楽しむ研修旅行があったそうです。
当然男性社員は風俗店が並ぶ街に繰り出して女性を買うのですが、
婚外交渉禁止のカトリック教徒の旦那は断固それを拒否。
普通の日本人は上司の命令となればいやでも従います。
けれども信念に反することは誰の命令であれ断るのがクリスチャン。
だって、上司は神さまではないからです(リストラされるはずだわね)
GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防
<日本人は目上の者に従順に従い、「個」を確立していない。
「個」を確立する、すなわち自由主義思想の確立なくして、
日本の民主化はあり得ない。米国はこのように考えていた>
<命令に従った行為でも罪は罪である、という考えの根底には
「人は個人として尊重されねばならない」という個人主義がある>
<戦時中の捕虜殺害で戦犯として裁かれた男を描いた、
テレビドラマ「私は貝になりたい」では、
なぜ命令を拒否できないのか迫る裁判長(アメリカ人)と
天皇の命令は絶対服従だとする主人公豊松の主張がかみ合わないシーンがある>
また、九州大学生体解剖事件をドラマ化した、
「しかたなかったと言うてはいかんのです」のタイトルは、
生体解剖を行う教授を止められなかった助教授の言葉です。
<非人道的な行為を止めなかったこと自体が罪であるという、
「何もしなかった罪」は、西欧的思想体系ではしばしば持ち出される一方で、
角を立てないために他人の行いに口を挟まない文化を持つ日本社会では、
理解が難しい考えでもある>と著者は述べています。
キリスト教徒にも「神の名のもと」に異教徒を殺戮してきた歴史があり、
民主主義を理解し「個」が確立している国民でも戦争を起こします。
GHQが変えたかったのは戦争観ではなく、
目上の人の命令を自分の判断で断れない日本人の在り方なのでしょう。
けれどもキリスト教を基にした民主主義は、日本人には理解できない。
どんな悪党でも「葵の御紋」の前には理屈抜きで平伏する、
そんな時代劇を見てスッキリしちゃう国民性は今も健在です。
戦争観ではなく権威を妄信する日本人を変えてほしかったけど、
それではアメリカ様の言うことは聞かなくなっちゃうわね。