母の日の起源は古き良き時代のアメリカで、
母親を亡くした少女が教会でお祈りをしたいからと、
白いカーネーションをお供えしたのが始まりだそうなので、
「おかあさんいつもありがとう」とモノを贈る日ではありません。
母である私は、何かをもらいたいとも、してもらいたいとも思わず、
とにかく一人で自由になる時間がほしい~っ!
食卓に着いた旦那が「箸がないぞ」と言っただけで、
反射的に体が動いて貢献してしまう性分なので、
家族がそばにいる限り常に臨戦態勢から抜け出せない。
日本の古いタイプの男って「妻」に「母」を求めますからね。
そんな私にとって最高だった今年の「母の日」は・・・
八神純子 Live キミの街へ ~ for all living things ~
和光市の市民文化センターでコンサート、行ってきました。
ブルー系のトップにロングなスカートをはいて出かけたら、
会場の入り口に集う中高年の紳士淑女の服装が、
ユニクロに毛が生えたようなレベルのラフさで驚いた私。
世界的なシンガーに対してこれでいいのか? と思ったのですが、
よく考えたら八神ファンの世代ってディスコ全盛時代です。
団塊世代の学生運動にむなしさを覚え社会問題に背を向けた、
あのノンポリな無責任無関心無気力世代なのでした(ため息が・・・)
さて、八神純子さんと言えばあの飛んでいきそうな高音の魅力。
今も当時とキーは変わらず、むしろもっと高い音を追求して、
声のボリュームは以前よりも迫力を増し元気いっぱいなのです。
でもコロナ感染を大変気にしておられるタイプの方で、
彼女のコンサートはいまだに声出し禁止(指笛は聞こえたきたねーな)
以前は八神さんの歌が聞こえないほど、お客が歌ったりしてたので、
彼女としては静かに聞いてもらえるコンサートになってよかったと、
コロナ禍の過剰防衛をちゃっかり利用しているようです。
1986年に結婚なさってからはずっとアメリカに在住しながら、
コンサートのたびに来日して音楽活動を続けていた八神さんですが、
2001年9月11日の同時多発テロでショックを受けて、
恐怖心から飛行機に乗れなくなってしまったそうです。
近所での銃撃事件も重なって精神的に不安定になりコンサートを中断。
2000年代にはシングルやアルバムの発表も途絶え、ほぼ活動停止状態
しかし日本ではその間にもベストアルバムが売れ続け、
2010年には、日本のテレビ番組に出演し久々に歌った八神さんが、
日本での音楽活動の再開を考えていた矢先に東日本大震災が発生しました。
「心配するだけで何も挑戦しない人生はやめよう」
という思いから八神さんは急遽帰国。
被災地で炊き出しと合わせたライブ活動を行ったのをきっかけに、
被災地支援活動を継続し、チャリティーイベントやコンサートなどを行いました。
彼女はこの体験を「9.11で閉まったドアが、3.11で開いた」と語っています。
和光市でコンサートを開いてくださったのも、
自分が行ったことのない街=大都会のコンサートホールではないところ、で、
人を含めてすべての命のために歌おう、と思ったからなのだそうです。
歌声と同様、熱い熱いおねえさま!(お姿見ただけで涙が出たわ)
いつまでも変わらず、お元気で歌い続けてください♪。