筆者は二人の男の子を育てているお母様でもあります。
何でも便利にしないで家の中でも「少しだけ不便」を実践中です。
リモコンボタンとスマホの画面しか操作しない子供たち。
今時はペットボトルの蓋が開けられない、
お菓子の袋を自分で開けられない、そんな子供が増えています。
力がないと同時に不器用です。それは経験がないから。
だから経験を与えればいいだけ。
水道は蛇口、掃除はほうきと塵取り、鉛筆削りは手動。
学校ではほぼ行っていることなので家でもできると筆者は言います。
大人は面倒くさがって便利なものを求めますが、
すでに小さなころに不便を体験して鍛えられている大人とちがい、
子供の経験不足は命の危機につながることもあります。
オール電化、なんて喜んでいないで、
子供には身体を使える暮らしをたくさん経験させたい、
そんな内容のお話です。
その一方で、「体験格差」という言葉があります。
<「体験格差」という言葉をご存じですか?
学校外での体験機会を得られるかどうかという点に、
子どもによって格差が生じていることを表す言葉で、
「世帯年収が高いほど体験機会が多い」などと年収と絡めて、
各家庭の年収によって体験格差が広がるかのような記事も散見されます>
<このような情報が飛び交う中で、
「お金がなくてできないことが多く子どもに何もしてあげられていない」
という罪悪感を抱くご両親からのご相談が増えているのですが、
私はそこに強い違和感を感じてきました>
<私自身、あまりお金のない家で育ちましたが、
「何もしてもらってない」なんて思ったことは一度もありません。
もちろん、生活をしていく上でお金はとても大切ですが、
情報に左右され過ぎて「本当に大切なこと」を見失っていないか・・・>
なぜ報道は「年収によって体験格差が広がる」というのか?
子供たちには学校外でも「お金のかからない経験」を勧めると、
習い事・旅行代理店・文化的事業団・スポーツクラブの従事者が困るからです。
要は経済活動に関わる「体験格差」に警鐘を鳴らしているだけ。
お金を使う体験だけが子供にとって大切なわけではありません。
タワマンに住んでいる裕福な子供のほうが、
山間部の農村に住んでいる子供よりもいろんな体験がある、
とはとても思えないのですけれど。
昨年の台風では周囲に避難指示が出た市内の川の合流地点。
天気のいい日には子供たちがヤゴの捕獲にいそしんでいます。