「卵が先か鶏が先か」みたいなタイトルです。

先の戦争でもまるで自然災害のように、

「あの時の空気には勝てなかった」と、

庶民ではなく戦争指導者が言うくらいに日本の空気は濃い!

 

 

 

「クライテリオン」3月号「土木バッシング世論の黒幕」より

 

メディアにだまされた・・・

しかし、マスメディアの側にも言い分はあろう。

そうした報道を求めたのは国民である、と。

報道機関には公器としての側面はあるにせよ、

民間企業であり営利企業であるがゆえに、

世論に迎合する動機から完全に自由にはなれない>

 

 

 

<マスメディアさえ世間や空気には逆らえない

逆らうと読者からの抗議がくるし、週刊誌は売れなくなる。

視聴率も落ちることに加え(広告が入らない)

苦情電話がわんわん来たらまともな取材ができない。

また勧善懲悪的な分かりやすさが求められ、

視聴者の側も一旦報道に流れが出来ると、

それと違う見方を放送すると怒る人が結構いる。

視聴者によるクレームが、

それがたとえ一部の人からのものであっても、

メディアの報道を萎縮させることが指摘されている>

 

<こうしてマスメディアは空気に沿った記事を作成し、

その記事は世間に影響を与え、

より強固な空気が循環的に形成されていくこととなる。

 

 

 

「正論」4月号「顧客満足至上でモンスター化した民」より

 

<より多くの視聴者や読者が見たくなる番組や紙面を作ること、

それも極力安く。そこで視聴者=顧客にすり寄っていくことになります>

 

真実・科学的根拠・難解な専門家の煮え切らない発言なんかは、

とりあえず置いといて、お茶の間の人々でもわかりやすい、

番組や紙面づくりが重要になってきます。

それでも少し前までは、

ジャーナリズムとしての良心を感じることは多々ありました。

ところがSNSの台頭による焦りなのか、

最近はなりふり構わなくなってきているように思います>

 

先日の大相撲、宇良 対 平戸海の取り組みで、

「物言い」がついて宇良の反則負けがアナウンスされたとき、

館内は大ブーイングの嵐、テレビの前の旦那と私は拍手してました。

平戸海の故郷は旦那と同じ平戸なので、空気に負けずに「平戸海」推しです。

 

 

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