2019年の京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司被告に、
京都地裁が死刑判決を言い渡しました。
これまで面会を受けなかった青葉被告が、
26日、大阪拘置所で朝日新聞記者の取材を受けました。
「死刑になった以上、何かを隠しながら生きていくのはどうかと。
これからは出ていこうと思いました」という青葉被告。
人間、死期が迫ると正直になろうとするんでしょうか。
人体実験並みの医療を駆使して被告の命を助けたのに、
結局死刑にするんですかと思う人もいるでしょうけど、
決して無駄な行程ではなかった、と私は思います。
日本から死刑制度がなくならないのは、
遺族の処罰感情が西洋人よりも強いからでしょうか。
罪もない家族が殺されたのに、
犯人が生きていることが許せない、
そんな遺族に代わって国家が犯人を殺すのが、
日本の死刑制度なのであって、
犯人に責任を取らせるためではありません。
遺族が前に進むきっかけになる、そのための死刑制度です。
青葉被告は自分の世話をしてくれた看護師に、
「今までこんなに親切にされたことはなかった」
と言ったそうです。
小学生の時に両親が離婚し、
父親から毎日のように暴力を受けてきた、
頑張って定時制高校に通うも職場でうまくいかず、
自分の不幸は周りのせいだと思うように・・・
そんな彼が一方的に京アニに対して怨みを募らせ、
放火によって多数の命を奪ったものの、
自らは手厚い医療を施され看護師らの世話になり、
他者を「人」として見ることができるように。取材では、
「この年(40歳過ぎ)になって、
境遇がどうとか言うのはどうかと思う」
と、実に冷静に語っています。
せっかく真人間に戻ったのに死刑にするのか?
と死刑反対派が指摘しそうな変化ですけど、
むしろ人間らしい心を取り戻して最期を迎えるのなら、
彼がこの世に生を受けた意味はあるのだと思います。
どんな場所にいても、一輪ぐらいは花が咲いている。
苦しかった思い出よりも、楽しかった瞬間に感謝して、
頑張ったことに自信を持ち、弱かった自分を赦せれば、
こうした社会への恨みによる事件は減るのかな、
なんてことを考えた、青葉被告の言葉でした。