昨年の10月19日に亡くなった仲本工事をしのんで(敬称略)
演劇研究者の著者が舞台・演劇の視点から描く一冊を。
ドリフターズの起源は進駐軍クラブで演奏する、
コミックバンドです。
言葉の通じない米兵を満足させるために必要なのが、
音楽とパフォーマンスによるお笑いでした。
今でも使われる’40年代のアメリカ漫才
加藤茶はこう語ります。
「ギャグというのは自分個人が笑われること。
おっちょこちょいとか、そそっかしいとか、
どこか抜けているとか、・・・
そういう笑いは極端に言えば差別だから。
見ている方が優位に立てるから、
自分よりちょっと下の方の人を笑える」
差別と言っても今のように排除するわけではなく、
笑いものにしながらも哀れみの気持ちは残っている、
かつての子供の世界そのものでした。
加藤茶の「ちょっとだけよ~」は子供の間で大流行
当時のライバルは「コント55号」でした。
アドリブやハプニングを得意としたコント55号に対して、
ドリフターズが裏番組で挑んだのが「全員集合」です。
しかも舞台からの公開生番組というかたちでしたが、
むしろ、ドリフは舞台出身だから、
スタジオ収録よりもやりやすかった、と仲本工事。
志村けんが「カ~ラス~なぜ鳴くの」と歌うと、
会場の子供たちが「カラスの勝手でしょ」と大合唱。
<いかりやの自己分析によれば、
ドリフの成功はギャグの独自性ではなく、
メンバーの位置関係を作ったこと。
圧倒的な権力者であるいかりやの下に、
不満を抱えた4人の弱者がいるという構図だ。
いつも虐げられている弱者が、
権力者に仕返しすることで笑いが生まれる>
その後80年代にマンザイブームが始まり、
ビートたけしや明石家さんまが活躍する
「オレたちひょうきん族」に笑いの流行をとられ、
「全員集合」は1986年に幕を閉じます。
芸人が「笑われる存在」から「笑わせる存在」へ
若者たちのカリスマへと変わっていった時代です。
いかりやは自分たちの在り方をこう述べています。
「見てる人が、あいつ本当にバカじゃないか。
あれなら俺の方がましだといって指さして笑う」
社会からそういうお笑いが消えて、
大衆は自分の方がましだと思うために
ちょっと下に、たたく人を求めた結果、
いじめや誹謗中傷がはびこるようになったのでしょう。
最後に学習院大卒、生真面目だった仲本工事の言葉を。
「人生というのは、
やりたいことができなくなった時が出発点なんだと思う」