「選挙の顔」という言葉があるとおり、

民主主義国家日本の選挙は「見た目が9割」?

 

筒井清忠「天皇・コロナ・ポピュリズム」より

 

<野党転落の危機に怯えた当選回数少数議員が、

看板を変えてくれなければ選挙に勝てない」

と迫ったことが菅首相の辞意表明につながった>

 

有権者は投票に先立って候補者の情報を集めていればよいが、

そうでなければ(投票所の)ポスターを見て選ぶことになる>

 

 

菅義偉 選挙ポスター に対する画像結果.サイズ: 150 x 78。ソース: blog.kuruten.jp

確かに、プロががんばっても笑顔がぎこちないです。

笑わずに「男は黙って」じゃだめなんでしょうか。

 

石川幹人「だからフェイクにだまされる」より

 

ぎっしり文字が書かれているポスターと、

笑って力強くガッツポーズをとる写真のポスターを見比べれば、

顔写真のポスターの候補者に一票を投じたくなるのもうなずける>

 

政治家は本来政策や実績によって選ばれるべきものだろう。

印象に左右される市民が多いと、

民主主義社会は扇動政治家によってコントロールされかねない>

 

なぜ日本の選挙運動はこんなに低レベルなのでしょう。

どうやら100年前の普通選挙に端を発しているようです。

 

 

 

 

ふたたび「天皇・コロナ・ポピュリズム」より

 

<日本初の普通選挙の総括として、評論家高畠素之は、

候補者の有名無名が投票の標準となる場合が多い」

「人物がポピュラーであればあるだけ、

『偉い』とか『強い』とか思うのだ」>

 

あらあら、今も100年前と全く変わってませんね。

 

 

選挙ポスター 普通選挙 昭和 に対する画像結果

第一回普通選挙 大衆向けには「泣き落とし」作戦も。

 

高畠素之は、普通選挙時代になると、

多くの大衆が政治に参加するので、

政治家にとって本質的には重要な能力ではない雄弁が、

重要な判断材料となってしまった、と批判している>

 

 

アドルフ・ヒトラー

 

今も、海外の政治家の雄弁さに憧れがちな日本人。

選挙運動中の買収普通選挙がきっかけでした。

 

制限選挙の時代は有権者に資産があったから、

供応・買収などにも応じにくかったし、

選挙対象が少ないため、選挙宣伝などに必要な

人間・費用も少なくてすんでいた>

 

<選挙に莫大な費用がかかれば、

資産もなく名望政治家たちでもない多くの立候補者たちは、

それを捻出するためには手段を選ばなくなる>

 

 

制限選挙 に対する画像結果


参議院選挙の候補者のポスターが、

街の中で媚び笑いをふりまく時期となりました。

本音では国会議員なんていらないと思ってる私。

これからしばらく仕事ないんでしょ? 

それでも日本は動く、不要不急です。