「父の日」の起源は1909年のアメリカ、

ソノラ・スマート・ドッドという女性が、

男で一つで自分を育ててくれた父をたたえて、

教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月

礼拝をしてもらったことがきっかけと言われています。

 

 

 

「父と子」についてのお話を二つ。

 

コロナ禍を理由に対面授業をやらないのは、

大学として義務を果たしていない――。

将来は会社経営を目指す男子学生(19)が、

学費の半額分の返還などを大学側に求める訴訟

東京地裁に起こすことになりました。

 

文科省の要請に反しオンライン授業を安易に続ける大学。

丁寧な説明もなくオンライン授業を続けるのかと

大学への不信感がふくらんだ彼は、

父親(70)から「理不尽な対応なら問題提起すべきだ」

との助言を受けて、提訴を考えたといいます。

 

これが母親だったら、わが子を不憫に思う気持ちが勝ち、

母親同士で集団訴訟を起こすかもしれません。

母親が大地なら、父親は空です。

いずれ自立する子供を広い視野をもって導く存在、

子供のやる気を後押しできる父と母でありたいです。

 

 

 

次は平川克美「路地裏で考える」より

 

「母親が亡くなって独り暮らしを始めた父親に、

私は、これからどうするんだ、と聞いた。

父は無言だった。

しばらくは実家と自分の家を往復しながら、

朝と晩だけ様子を見る、ということをしていた」

 

「ある晩、これからは俺がここに一緒に住もうか、と言った時、

父親はぽつりと、頼むよ、と答えた。

その時、私と父親の大人と子供の関係が逆転したのだと思った」

 

「父親は私が作る食事を、うまいと言って食べてくれた。

献立を考え食材を買い出し、料理をこしらえるという作業は、

慣れてくるにしたがっておっくうというよりは

ひそかな楽しみにすらなっていた」

 

 

 

その後父親が亡くなり、気が付くと著者は、

料理をこしらえる気力がまったくなくなっていました。

そして気が付くのです。

 

「人は自分が考えるほど自分のために生きているわけではない」

 

子供が大人になる契機は、

自ら進んでであれ、やむを得ずであれ、

自分以外の人間のために生きなくてはならないという

自覚を持ったときだろうと思う」

 

 

ある時は子の背中を押し、ある時は子に頼り、

そうやって親は子供を大人にしていくものなのですね。

 

私が実家に出戻ってバリバリに働いていたとき、

父が結婚相談所への入会を勧めました。

今はお前が家にいてくれて助かっている、

でも自分たちが死んだあと一人でいる姿を考えるのはつらい、

私が家を出る日に「寂しい」と言って号泣した母とは大違いです笑

 

 


日本の「父の日」はプレゼントを贈る日みたいになってますが、

私も旦那も両親は亡くなってるので遺影の前に花を飾ります。

当日は総菜コーナーでバイト、の娘はおぼえているかしら・・・おとめ座