相模原市で起きた障害者施設での大量殺傷事件、わたしゃ、重度の知的障害者の妹と、彼女を通じて知り合った多くの障害者の顔を思い出しました。



「施設に預かってもらっていれば安心なのよね」と最期まで妹の身を案じていた亡き母の声も。



マスコミでは、この手の事件を予防するためには、措置入院のあり方を考えていかなければならないと、国の制度の責任にして幕を引きたいみたいな専門家が多数登場している。自己顕示欲では犯人にも劣らない、といいたくなるような教授共が討論会で何か言うておられたが、何言ってんのかさっぱりわかんなかったです。



これまでの大量殺人事件の犯人が精神疾患でも何でもなく、小さいころはうまくいってたのに、成人して人生が思い通りにいかなくて全く無関係の存在に八つ当たりしているだけ、というのと同じ種類の人間だと思います、この犯人も。



「障害者なんていなくなればいい」と思っているからと言ってそれが殺人事件につながるわけではない。でも、危険だから精神疾患として措置入院させちゃいましょう、精神疾患を疑いましょうというなら、下の発言をした人も、措置入院? それこそ、税金の無駄遣いですが。




ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって……。しかし、こういうことやってやっているのは日本だけでしょうな。
人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。
ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。
〔安楽死」の意味を問われて〕そういうことにつなげて考える人もいるだろうということ。安楽死させろと言っているんじゃない。



誰の発言か、もうおわかりですね。1999年、都内の重度障害者施設を視察後に発言されたものです。



l障害者の家族からいわせてもらえば、今回の事件から学ぶべきことは、こういう考えを持っている日本人は別に珍しくないということ。胎児がダウン症かどうかが判明する出生前検診とか放射能で奇形児が生まれると困るとか、あるしね。



生きてても無駄、税金がもったいない、そういう意見もありますが、罪を犯して刑務所に入った人間を国費で養っている、そっちのほうがよほど税金の無駄ではないでしょうか。税金ていうのは本来、生きるのが大変な人のために使うものなんですからね。



香山リカさん


「高齢者は適当な時に死ぬ義務あり」の曽野綾子氏、「下流老人は安楽死した方がよい」の小林よしのり氏、そして数々の差別発言の石原慎太郎氏、みな「マイノリティを排除せよはたとえ話だよ」と言うかもしれない。しかし、世の中にはそれを真に受け実行する人がいるのだ。自分たちの責任を感じてほしい