血にまみれ見分けがつかないほど変形した母親の顔を見おろして、紀之はこのまま放置しておけば死ぬだろうと考えた。救急車を呼ぶ気はさらさらなかった。自分の仕業であることが発覚するのを恐れてではなく、血を吐いた父親を放置して死に至らしめたのが、ほかならぬ母親であったからだ。

 あのときの母親の、鬼畜のような仕打ち。父親が味わったのと同じ苦しみを、彼女にも味あわせてやろうと思ったと、紀之は得意げに語った。

 母親をそのままにして紀之はいつも通りに朝刊の配達に出かけ、家には戻らずにゲームセンターで過ごし、コンビニで昼食を調達した。夕方も平然と夕刊の配達を終えると、販売店の奥さんに、

(家の問題で、しばらく店に出てこられないかもしれない)

 と話した。

(お母さんの借金の問題なら、もう一度きちんと話し合ってみたら?)

 何も知らない奥さんの言葉に、紀之はただ無言で笑い返すしかなかったという。

 親切な彼女は彼を車に乗せて、隣町との境にあるファミリーレストランに連れて行ってご馳走してくれた。なんだか最後の晩餐のようだった。紀之はそのお礼に、レジのそばに並べてあった手のひらに入るほど小さな犬のぬいぐるみを買い求め、その場で奥さんに手渡した。店主夫婦には、こういうものを好みそうな年頃の娘がいたからである。自分としては、形見分けのような気持ちだったらしい。

 つまり紀之は、母親殺害について、はっきりと責任を感じていたのである。


 母親を殺した経緯に、いくばくかの同情を禁じえない園子であったが、そのまま仕事に向かい他人と食事をする神経が、彼女には理解できない。だが、そもそ殺人を犯した直後の人間の心理を、経験もない善良な人間が理解できるわけがないのだと考え直すと、彼女はすっかり笑みの消えた強張った顔つきで、蚊帳の外にいながらまったく不満の声を漏らさない美津子を振り向く。彼女はわれ関せずで、テレビの音に耳を傾けながらビーズ通しに専念していた。

 改めて考えてみると、不思議な空間である。言葉を持たずに人間社会で生きている妹と、残忍な方法で母親を殺害した経験を持つまだ若い男が、平凡な中年女である自分とともに、こうして家のリビングルームに静かに集まっているのだ。

 園子は、おそらく自分の年齢とそう違わないであろう母親をなぶり殺しにした青年の告白にも、まったく恐怖を覚えなかった。彼の話が作り話だと思っているわけでもないし、彼がすっかり反省して更生していると信じているわけでもない。

 彼女はただひたすら、少年であった紀之の境遇が哀れだったのである。息子を守りいたわるはずの母親から愛を得られないばかりか、まじめに働き懸命に生きているのに裏切られ罵倒され、再婚の邪魔になるから出て行けとまで言われる。そこまで追い詰められて、それでも人は善を貫ける、貫くべきだとは、園子には到底思えない。

 借金まみれの母親に自分の金を使い込まれたとしても、働いている自分を当てにしてくれた、それは家族としての絆を示すものではあった。それを母親は断ち切ろうとした。多分紀之は、母親が借金を重ねて生活をむちゃくちゃにしたことを憎んでいるのではない。どんな理由であれ、自分との絆を引き裂こうとした、そこに絶望したのではあるまいか。


(つづく)


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