今日の気になる見出しと記事。2つ。

 

まぁ、共感できると言いつつも、ネット記事になるってことは、ワシも所詮、ゴシップ記事を扱っているってこと。苦笑。

 

以下の記事。1つ目。

 

大空幸星「SNSはもはや人の命を奪う凶器になってしまった」漫画家芦原妃名子さん訃報について

 

Social Mediaが人の命を奪う手段になっているよね。メディアリンチ。いじめ。

結局、学校のいじめもそうだけど、自分が手を汚さず、逃げ道を作り、誰かを傷つける。人権侵害をしないと生きられないという変な人格形成ある。教育者がそもそも、ミーハーでゴシップ記事をあたかも事実として社会批判するからね。高校時代の社会科の先生がそうだ。こいう人は左寄りの人が多い。まぁ、新聞もゴシップ混じっているというのもあるけど、教育者がゴシップを軸に教育を施すというのも現実なんですよ。

 

メディアリテラシー、情報リテラシーというのが二十数年前に飛び交ったんだけど、今まさに、この教育が必要。でも、教員には無理です。

左寄り、ミーハーである以上。大学の教員も微妙。憲法、法律の学者の中にも微妙なやつ多い。

 

進まぬメディア、情報リテラシー教育。これは今の日本社会にあっての課題だな。

 

 

次はこれ。

 

「週刊誌の記者自身の名前も報道する覚悟が必要」フリーアナウンサーが私見つづる

 

記事の内容見ると、共感できる。報道被害は書かれた側は白と認定されても、一度貼られたレッテルは死ぬまで剥がれない。それぐらい深刻な話。つまり、でっちあげたものがち。書いた人間は特に裁判ででっち上げと言われてもメディア、所属会社だけが世間に晒されるだけで、書いた当人は特に社会的に制裁がないんですよ。

 

自分の書いた記事に自信があるとか、徹底した取材のもとに記事を書いたというなら名前を目立つように書くべきというか、書く場合もあるよね。けど、ここで言っているのは、記者自身も書かれた方と同じく、この記事を書いた記者は〇〇という記者だ!というがニュース記事で読まれるべきですよ。じゃないと、書き逃げ、当て逃げと同じようなものでしょ。フェアじゃぁない。

うその記事を書いた、罪もない人を罪人のように仕立てた悪徳記者!ってレッテルを貼られるべきですよ。裁判とかで書かれた方が白になった場合は尚更、そうしたレッテルを貼られるべきです。立派な人権侵害をしたのだから。って。