みなさん、こんばんは!

おはようございます、こんにちは☀️

今日は、栃木県足利市樺崎に鎮座する国の史跡「樺崎八幡宮(樺崎寺跡)」をみなさんにご紹介したいと思います📓🖋️


✳️樺崎八幡宮(樺崎寺跡)✳️
「足利義兼」は、文治5年(1189年)奥州合戦の戦勝祈願のため「理真上人」を開山として、この地に「樺崎寺(かばさきでら)」を創建しました。

✳️一ノ鳥居✳️
「樺崎八幡宮(かばさきはちまんぐう)」は、正治元年(1199年)に当地で入寂した「義兼」を、子の「足利義氏」が「八幡神」と共に合祀した事に由来します。

✳️参道✳️
以降「樺崎寺」は、足利氏の氏寺である「鑁阿寺の奥の院」・「一族の廟所」として崇敬を集めますが、明治始めの「神仏分離令」により廃寺。
「樺崎八幡宮」のみが残されました。

✳️二ノ鳥居✳️
「樺崎八幡宮」も含めたこの遺跡は、足利氏ゆかりの遺産として国の史跡に登録されており、大変貴重です。

✳️手水舎✳️

✳️拝殿✳️


✳️御祭神✳️
「誉田別命(応神天皇)」。

「源義兼公(足利義兼・足利氏第2代)」。

✳️御神木✳️
樹齢500年の大杉。

✳️神楽殿✳️

✳️本殿(赤御堂)✳️
発掘調査では、「樺崎八幡宮」本殿のすぐ北側に「義兼」が祀られた「赤御堂」へ上がる石段が発見されました。

✳️当時の「赤御堂」✳️
当時は、石段の正面に「御堂」があったと推測されます。

「義兼」は、本殿床下に穴を掘り、竹筒1本を持って穴に埋まり、呼吸をしながら念仏を唱え「即身成仏」になったといわれています。

✳️墓標✳️
本殿床下には、入定地を示す「墓標」が立てられています。

✳️開運合格の道✳️


✳️天満社✳️



✳️御祭神✳️
御祭神には、「菅原道真公」が祀られています。

✳️多宝塔跡✳️
1226年に4代住持になった「熱田弁僧都重弘」により、その父の供養のため建立されたとされています。

✳️供養塔覆屋跡✳️

✳️足利氏御廟跡✳️
この基壇の上に五輪塔10基が並べられ、瓦葺の覆屋が建てられていた事が分かっています。



✳️浄土庭園✳️
「足利義兼」が奥州合戦での戦いの際、「毛越寺」や「中尊寺」などの華麗な「浄土庭園」に影響を受け、「鎌倉時代」に作庭されたと伝わる庭園です。



後年、「義兼」の遺書が見付かり「自分はこの樺崎の地で神になり、足利氏一族の繁栄を見守っている。」といった内容が遺書に残されていました。

その後、代々の足利氏がこの地を崇敬するような場所となったそうです。

✳️御朱印✳️

✳️授与所✳️
授与所は基本無人ですが、書き置きの御朱印が置いてあります。

✳️銅板が盗まれる事件が発生✳️
5/27日午前10時頃「樺崎八幡宮」でパトロールをしていた市役所の職員が、本殿の屋根などから「銅板」が盗まれているのを発見しました。

屋根などに付けられた「銅板」およそ200枚、本殿を囲う塀に付けられていた「銅板」およそ70枚。
時価400万円相当が剥がされて持ち去られていました。

✳️現在の本殿✳️
現場周辺には重機などが立ち入った痕跡はなく、何者かが神社の屋根に登って1枚ずつ剥がして持ち去った可能性が高いという事です!
現在も銅板が盗まれた部分には養生をして応急処置が施されています。

今日はこの辺で!
次回は、栃木県足利市八幡町に鎮座する「下野國一社八幡宮」。
そして、その境内に鎮座し「日本一の縁切り神社」で有名な「門田稲荷神社」をみなさんにご紹介したいと思っているのでお楽しみに♪
では、また👋
いやさか~✨