みなさん、こんにちは!

こんばんは、おはようございます☀️

今日は、栃木県下野市にある国指定史跡「下野国分寺跡」をみなさんにご紹介したいと思います📓🖋️


✳️下野国分寺跡(しもつけこくぶんじ あと)✳️
「下野国分寺跡」は、奈良時代の天平13年(741年)「聖武天皇」の詔によって、全国60数ヵ所に建てられた国立の寺院の1つです!

伽藍(寺の建物)配置は、全国の「総国分寺」である奈良の「東大寺」と同じ形式(東大寺式)で、南北一直線に南から「南大門・中門・金堂・講堂」が並び、「中門」と「金堂」は、「回廊」によって繋がれています。

「塔」は、回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から「七重塔」であったと推定されます。

✳️下野国分寺復元図✳️
また、「金堂」・「講堂」を挟んで東西には「鐘楼」・「経蔵」が置かれています。

✳️寺院地溝跡✳️ 
これまでの発掘調査から、寺院地の規模が東西413m。

✳️南門跡✳️
南北457mになる事や、「南大門」・「塔」の規模などが明らかになっています!

✳️南大門跡✳️
また、「掘」や「溝」の作りから、伽藍地とその外側を区別する寺院地の範囲や、変遷がほぼ明らかにされ、「1~5期」に時期区分されています。

✳️中門跡✳️
「下野国分寺」の終焉は明らかになっていませんが、発掘された「遺構」や「遺物」からみると、11世紀ないし12世紀まで法灯が続いていたと推測されています。

✳️金堂跡✳️
「下野国分寺跡」は、古代寺院跡で、国の史跡に指定されています!
現在は整備され、「史跡公園」となっています。

「金堂」とは、本尊を祀る寺院の中でも中心的な建物です。

中央「須弥壇」に、本尊「釈迦如来像」、脇侍「菩薩2体」。

四方に「四天王像」を配置していたと考えられます。

「下野国分寺」では、すべての建物の中で最初に建造されました。

✳️回廊跡✳️
「回廊」とは、寺院などにおいて建物や中庭などを屈折して取り囲むように造られた「廊下(ろうか)」の事です!

✳️塔跡✳️
「塔」は、「仏舎利(仏陀の遺骨)」や「経典」などを納める建物。

✳️七重塔✳️
基壇の規模と配置などから「七重塔」だったと考えられます!

✳️鐘楼跡✳️
「鐘楼」は、とき(時刻)の知らせや、儀式の合図に鳴らす「釣り鐘」を収納した建物です。

✳️講堂跡✳️
「講堂」とは、僧(そう)が集まり経典を学習し、法要を執り行う建物です。


✳️経蔵跡✳️
「経蔵」とは「経典」を収納しておく場所。

✳️僧房跡✳️
「僧房」とは、「僧が生活する宿舎」です!

「尼寺」は、「僧房」ではなく「尼房(にぼう)」と呼びます!
規定では「僧寺」に20人の僧を、「尼寺」には10人の尼僧をおく事となっています。

今日はこの辺で!
次回は「下野国分寺跡」の東方600mの場所にある史跡「下野国分尼寺跡」をみなさんにご紹介したいと思っているのでお楽しみに♪
では、また👋
いやさか~✨