みなさん、こんにちは!

こんばんは、おはようございます☀️

今日は栃木県宇都宮市大谷町に鎮座する「大谷寺」をご紹介したいと思います📓🖋️


✳️大谷寺✳️
「大谷寺」は日本最古の石仏とされる「千手観音」を本尊とする天台宗の寺院です。

坂東観音三十三箇所の十九番札所にもなっています。

鎌倉時代には、「二荒山神社」の社務職を兼ねながら、下野国宇都宮を治めた宇都宮氏の保護を受けて興隆。

その後「豊臣秀吉」によって宇都宮氏が改易されると衰退したが、江戸時代になると「徳川家康」の側近として活躍した「天海」の弟子、「伝海」が堂宇を再建。
宝永念願にも堂宇が建立されたが、その後の火災で多くの堂宇が焼失した。

焼失と再建が繰り返され、今尚たくさんの参拝者が訪れる日本指折りの洞窟寺院でもあります。

✳️銅製灯篭✳️
こちらの「銅製灯篭」は、河内郡新里の住民の寄進により、1716年(享年元年)に鋳造されたものです。
鋳物師は「戸室元蕃」。

✳️大谷観音の起縁✳️
その昔、この辺り一帯は大小の岩が、まるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり「大谷」と呼ばれていました。

岩下からは水が湧き出して川となり、自然が作った城の様でした。
この中には毒蛇が住んでいて、時々毒水を流し出し、鳥獣虫魚がこれに触れるとたちまち死んでしまった為、ここを「地獄谷」と呼んでいました。

人間がこの水に触れると病気になり、最悪の場合は死に至り、五穀は枯れ、草木もしぼみ、人々は苦しみこの地を捨てようとしていました。

時に大同、弘仁(810~)の頃、「弘法大師」が東国巡鋳の折りこの話を聞き、里人の憂いを除こうと「毒蛇の谷」に入って行きました。人々はこれを聞いて喜びました。

✳️弘法大師(空海)✳️
十余日の後、谷から大師が出て来て、毒蛇を退治したと告げて立ち去って行きました。
人々が谷の奥に入り中の様子を見ると、高い岩山に光輝く「千手観音」が掘ってありました。

観音の光明は山谷を一面金色に変えました。
人々は「弘法大師」の不思議な力に感謝し、大師の偉業を貴み観世音に帰依して仏教を信仰する者が増えました。
これが「大谷寺」の始まりです。

現在は、池の中央に「弁財天」が祀られています。

かの毒蛇が心を入れ替えて白蛇となり、お仕えしています。

参拝後には、白蛇の頭にも軽く触れて下さい。

✳️大谷観音✳️
先程説明しましたが「大谷寺」本尊「千手観音」は、平安時代(810年)「弘法大師」の作と伝えられています。(高さ4m)
古くから「大谷観音」と呼ばれています。
最初は、岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表には金箔が押され金色に輝いていました。

「千手観音」には、「千の手」と「千の目」があります。
手のひらにも目があり、いつも私達を見守ってくれています。
たくさんの手で宇宙にある全ての人々、生き物を救って下さる有り難い観音です!
ぜひ、お参りの際は世界の平和と人々の幸せを願い、合わせて感謝の気持ちで合掌しお参りしましょう!

✳️大谷寺の石仏群✳️
本尊の「千手観音」をはじめ、脇堂の「釈迦三尊」・「薬師三尊」・「阿弥陀三尊」の合計10躰の石仏は、日本の石像彫刻中、優秀なる技巧を究めたものとして、昭和29年3月に国の特別史跡に、昭和36年6月には、重要文化財に指定されました。

✳️縄文最古の人骨✳️
「宝物館」にあるこの人骨は年令20才前後、身長154㎝の男性で昭和40年4月、「特別史跡・重要文化財大谷磨崖仏防災工事中」にお堂下約150㎝位の地下より出土したもので、私たち現代日本人のはるかなる祖先の姿を知るのに貴重な資料となっています。

✳️御朱印✳️
こちらが「大谷寺」の御朱印です。

✳️平和観音✳️
「大谷寺」の南側、すぐ近くには「平和観音」が鎮座しています。
太平洋戦争の戦死戦没者の供養と、世界平和を祈って彫刻された、高さ27mの観音像です。

東京芸術大学教授・飛田朝次郎氏が制作を手掛け、大谷の石工達が彫刻しました。
6年の歳月をかけ、昭和29年に完成し、昭和31年には、日光輪王寺跡・菅原大僧正により開眼供養が行われました。
現在は、宇都宮市公園管理のもと自由に参詣出来る憩いの場として、多くの方達が訪れています。

今日はこの辺で!
次回は「大谷寺」のすぐ近くにある大谷石採掘場跡に作られた「大谷資料館」をみなさんにご紹介したいと思っているのでお楽しみに♪
では、また👋
いやさか~✨