みなさん、こんにちは!

こんばんは、おはようございます☀️

今日は栃木県那須町湯本にある「殺生石」をみなさんにご紹介したいと思います📓🖋️


✳️殺生石✳️
「殺生石」は、那須岳の斜面にある巨大な溶岩です!
斜面にはたくさんの溶岩が転がっています。

✳️殺生石の由来✳️ 
昔、中国やインドで美しい女性に化けて悪行を重ねていた「白面金毛九尾の狐(キツネ)」が、今から800年程前に渡来しました。

✳️玉藻の前✳️
「九尾の狐」は、「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え、日本国を亡ぼそうとしていました。

しかし、陰陽師「阿部泰成」に正体を見破られると「九尾の狐」は、「那須野ヶ原」まで逃げてきました。

ここでも「九尾の狐」は悪さを繰り返していたので、朝廷は「三浦介」・「上総介」の両名に命じ、遂に「九尾の狐」を退治しました。

すると、「九尾の狐」の姿は毒石になり、毒気を放ち始め近付く人々や獣を殺し続けました。

これを伝え聞いた「泉渓寺」の「源翁和尚」が毒石に向かって大乗経をあげ続けると、一筋の白煙とともに「玉藻の前」の姿が現れ、石は3つに割れて飛び散り、1つがここに残りました。
それ以来、人々はその石を「殺生石」と呼ぶようになり、今に伝えられています。

✳️盲蛇石✳️
昔々のある冬、この地で「五左衛門」という男が「盲目の大蛇」と出会いました。
彼は蛇が厳しい冬を越せないだろうと気の毒に思い、ススキと小枝で小屋を作ってあげました。
翌春、小屋を訪ねると蛇の姿はなく、輝く「湯の花」
があるばかりでした。

その後「湯の花」の作り方は村中に広まり、人々は蛇への感謝の意を込めて、蛇の首に似たこの石を「盲蛇石」と名付け大切にしたという事です。

✳️湯の花採取場跡✳️
地表から吹き出たガスの硫黄成分が結晶したものを「湯の花」と言います。
水に溶けやすい為に屋根を掛け、地表に敷き詰めた赤土の上で出来た「湯の花」を採取していました。
江戸時代、この地域では年貢米の代わりに「湯の花」を納めていた事から、貴重な資源であった事が分かります。

✳️教伝地獄✳️
「殺生石」には「教伝地獄」という場所。

✳️千体地蔵✳️
「千体地蔵」などがあります。
ちなみに「殺生石」の「殺生」とは、仏教における「五戒」の1つで「いきものの命を奪う」という意味があります。

✳️松尾芭蕉も訪れた地✳️
こちらの「殺生石」には「奥の細道」で有名な「松尾芭蕉」も訪れています。

「詩石碑」もあり、国指定名勝にもなっています!

✳️大事件が!!殺生石が真っ二つに.....。✳️
2022年3月5日。
観光客がTwitterで画像を投稿して判明しました。
問い合わせを受けた地元の「那須町観光協会」も駆け付け、ほぼ中央から刃物で切ったように「真っ二つ」に割れた「殺生石」を確認したそうです!

同協会によると、以前から「ヒビが入っていた。」といい、自然現象で割れたとみられています。

✳️「一大事」で慰霊祭✳️
「殺生石」が割れた事は地元でも「一大事!」と受け止められ、3月末に那須町観光協会による「慰霊祭」と「平和祈願祭」が行われました。

同協会では「伝説には諸説あるが、600年以上鎮座している石が割れた事は、自然現象であったとしても何らかの意味があるのではないか?」と開催理由を説明しています。

✳️九尾の狐の封印が解かれたのか??✳️
もしかして「殺生石」が割れた事で、封印された「九尾の狐」が解放されたのでは??
石が割れた事は吉兆か?
それとも不吉の前兆か??と憶測がヒートアップしています。

✳️最後に✳️
那須町にある「九尾の狐」の伝説が残る「殺生石」いかがだったでしょうか??
現地に着くと分かりますが、鼻にツーンと「硫黄の匂い」が凄いので気持ち悪くなる方もいらっしゃると思います。

✳️20年ぶりの「殺生石」✳️
約20年ぶりに「殺生石」に行ってみると、若い頃と現在とでは「ものの見方」や「感じ方」もだいぶ変わっているので、新たな発見もありました。

みなさんも、ぜひ!「九尾の狐」の伝説が残る、栃木県那須町湯本にある「殺生石」お越しになってみてください♪

今日はこの辺で!
次回は栃木県宇都宮市にある「長岡百穴古墳」をみなさんにご紹介したいと思っているのでお楽しみに♪
では、また👋
いやさか~✨