みなさん、こんにちは!

こんばんは、おはようございます☀️

今日は栃木県足利市西宮町に鎮座する「西宮神社」をみなさんにご紹介したいと思います📓🖋️


✳️西宮神社✳️

慶長8年(1603年)江戸幕府が出来た年に、代官「小林重郎左衛門」が摂津国(現在の兵庫県)の「西宮神社」を勧請し創建されました。


✳️恵比寿講✳️
毎年11月19、20日に行われる「恵比寿講」の際には、開運や商売繁盛を願う人達で大変賑わい「織姫神社」の方まで出店が並ぶそうです。
足利七福神めぐり社寺の1つで「恵比寿神」の神社でもあります。

✳️お宝✳️
境内へ続く参道には、棒に縁起物の飾りの付いた「お宝」などを商う150軒余りの露天が並びます!
参拝帰りの人々が「お宝」の露天の店主と値段の交渉をし合い「お宝」の値段を決めるそうです。

✳️神楽✳️
境内の「神楽殿」では「えびす」・「ひょっとこ」が短冊に切った餅を和紙に包んで釣竿の先に付け、見物人に垂らす「神楽」も行われます。

✳️鳥居✳️
「ニの鳥居」から石段を昇ると別れ道になっています。

左手に進むと「社務所」があり、正面へ進むと「社殿」がある境内に出ます。

✳️手水舎✳️

✳️神楽殿✳️

✳️拝殿✳️

✳️本殿✳️

✳️御祭神✳️
「西宮神社」の御祭神には「事代主神」。

                           「水蛭子神(ヒルコ)」。
御利益には「商売繁盛・家内安全・開運招福」etc.

✳️神明宮✳️
社殿裏手には「神明宮」が鎮座しています!

✳️御祭神✳️
御祭神には「天照大御神」。

✳️水蛭子神(ヒルコ)について✳️
ここで「西宮神社」の御祭神の一柱である「水蛭子神(ヒルコ)」について解説してみたいと思います📓🖋️

✳️伊邪那岐神・伊邪那美神の第一子✳️
「水蛭子神」は「国生み・神生み」や「黄泉国」の神話で有名な「伊邪那岐神・伊邪那美神」の子として登場します。

「伊邪那岐神」と「伊邪那美神」は日本国土を形成する為、天上世界である「高天原」から「オノロゴ島」に降り立ちます。
ここで男女の交わりを行い、日本を形成する島々やたくさんの神様を産み落としていきます。
この時一番最初に生まれた神様が「水蛭子神」でした。

ところが「水蛭子神」は3歳になっても脚が立たず不自由だった為、「藁の船」に乗せられて「オノロゴ島」から海に流されてしまいました。

✳️「水蛭神子」はなぜ海に流されてしまったのか?✳️
その背景には「穢れ(けがれ)」の価値観が大きく影響しているとされています。
「穢れ」とは「病気」や「死」を意味する不浄なものとして人々は忌み嫌がっていました。
そして体が不自由な事も「穢れ」の一種であり「水蛭子神」は「不吉な子」とされてしまい海に流される事になりました。

✳️水子✳️
ちなみに、流産または人工妊娠中絶により死亡した胎児の事を「水子」といいますが、「水子」という呼び名は生まれて間もなく海に流された「水蛭子(ヒルコ)」より転じたものとされます。

✳️しかし、ある伝説が.....。✳️
「西宮神社」の伝承によると、海に流された「水蛭子神」は兵庫県西宮市の海岸に漂着し保護されたとされています。
そして土地の人々から外部からの来訪者を意味する「夷(えびす)」と呼ばれ大事に育てられたそうです。
「ヒルコ」を漢字で書く「蛭子」は「えびす」とも呼びます。

✳️「水蛭子神」=「恵比寿様」✳️
「えびす」といえば、現代人にも馴染みのある七福神の一柱である「恵比寿様」。
つまり海に流された「水蛭子神」は、後に「恵比寿様」として七福神の一柱に名を連ね、今なお「漁業の神様」として多くの人々から信仰を集めています♪

✳️恵比寿様が座っている理由✳️
「水蛭子神」は幼少の頃から脚が不自由だったので、七福神の一柱である「恵比寿様」がいつも座ってらっしゃる理由がこれで解りましたね✳️

✳️御朱印✳️
今回参拝に上がった時は、残念な事に「社務所」が無人だった為「御朱印」を受ける事が出来ませんでした。

社務所入口に「スタンプ」が置いてあったので今回はスタンプを受けさせて頂きました。

今日はこの辺で!
次回の投稿は女性の方必見です!!
栃木県足利市に鎮座する「厳島神社(美人弁天)」をご紹介したいと思っているので、僕の投稿をいつもご覧になってくださる女性の方達は是非お楽しみに♪
では、また👋
いやさか~✨