『心から笑顔になるお手伝い』をします。

心屋認定カウンセラー *さっちゃん*
こと、福田さち子です。


昨日のぐりちゃんのブログ。
読んだ方もたくさんいらっしゃると思います。


あまりにも
ぐりちゃんの気持ちがわかり過ぎて
涙が出ました。



そして、こちらのブログも。


介護こそしてはいませんでしたが
10年以上前、おんなじこと思ってました。


何とか繋ぎ止めていた気持ちが
「プチッ」と切れる瞬間が私にもあって


そこから、義両親と笑って話せなくなり
旦那とも目を合わせられなくなり
子ども以外の家族とは、なるべく関わらなくなりました。



そして、離婚して家を出ると決めました。



私の中には、子どもを連れて家を出るという考えはありませんでした。


というか、できませんでした。


この家に置いていけば
広い家があって
世話をしてくれる義父母がいて
子煩悩な父親がいて
旦那は公務員だから、収入も安定している。
義父も会社をやっていて、平均以上の生活をしていける。
引っ越しも転校もしなくて済む。


もし、私が連れて出たら
お母さんはいるけど
そのほかは、何も無い。

今と同じ生活はさせてあげられない。
お留守番も増えるだろう。
一緒にいる時間なんかないくらい、私は働かなければならないだろう。


だったら、私がひとりで家を出ればいい。
その方が、子どもたちは幸せなはずだ。


そう思っていました。


そう思いながら、幼い子どもたちを置いて
出て行く決心が付かず


ただただ、心が落ちつくことのない家で
子どもたちが大きくなるのを待ちました。


お母さんが急にいなくなったら
きっと大変だろうから


少しずつ
少しずつ


家事を放棄し
ひとりで出かける機会を増やし
お母さんはいつか出て行くよと話し


お母さんがいなくても
ちゃんと生活が回るように


「いなくなる準備」をしてきました。



そんな中、子どもが不登校になりました。


きっと私がこんなだからだ。
家を出たいなんて言ってるから
子どもが不安定になるんだ。


大切な存在を傷つけてまで
私は楽になりたいんだろうか?


子どもにそんな思いをさせてでも
私は幸せになりたいんだろうか?


そもそも、子どもが大切だから家を出られないとか言いながら
子どもがいるせいで、私は自由になれないという矛盾した思いもありました。


そのまま、10年以上経ってしまいました。
未だに、別居も離婚もしていません。


心屋に出会って、すごく楽になったから
離婚も急がなくなりました。


心屋的に言ったら、子どもは大丈夫だから
離婚すればいいのだろうと思います。


でも
長女は東京で一人暮らしをしている。
次女も大学の近くで一人暮らしを始める。
あと何年もしないうちに、三女も巣立つでしょう。


放って置いても離れて行くのなら
もう少し、一緒にいたい。


今はそう思っています。


何より、私は嫁ぎ先のこの家で
「反抗期」をやらせてもらっているのだと思っています。


両親に対してできなかった態度を
嫁ぎ先でさせてもらうという


なんとも、贅沢なことをさせてもらっているのです。


10年以上抱えてきた
どうにもできない思いさえも
私にとって必要で、自分で用意した体験なのでしょう。


今書いていても涙が出るから
まだまだ、ゆがんでいるもしれません。
本当は家を出るのが怖いという、私の思いが現実を作っているのでしょう。



義父に余命宣告が出た今
少しだけ、歩み寄りました。


家を出るという決心は変わっていませんが
反抗期をさせてもらった御礼を言って
出ていけるよう


それくらい、自分を取り戻せるよう
「今」に集中しようと思います。



今日も、読んでくれてありがとう(*´꒳`*)